掲載日 : [2016-03-30] 照会数 : 6809
「本名を呼び、名のる教育」…金容海さんが死去
「本名を呼び、名のる教育」を訴え、民族学級をはじめとする日本の公教育における民族教育の推進に半生を捧げた金容海さんが10日12時35分、肝臓がんによる呼吸器不全のため亡くなった。90歳。済州道出身。
1951年から87年までの36年間、大阪市立北鶴橋小学校で民族学級担当常勤講師を務めた。定年退職後は民団大阪本部文教部に勤務。民族講師の定年退職などで尻すぼみになっていく民族学級の復活と民族講師の後任配置に向け、民団をバックに大阪府・大阪市教育委員会と交渉を続けた。
この結果、91年から府・市教育委員会との間で年に1回、定期的な協議の場が持たれるようになり、大阪府教委は98年、「指導の指針」を改訂し、「本名原則」を明文化するに至った。民団大阪本部は、「大阪府・市教育委員会との定期協議の場で民族教育・国際理解教育の推進について協議できるようになったのは、金容海ソンセンニム(先生)のいちばん大きな功績」と振り返った。
後継者の一人である郭政義さん(元北鶴橋小民族講師)は、「高校から本名を名のり始めましたが、その歴史も意味もあまり深く理解していなかった。ソンセンニムはそんな私に確固とした本名の意義を教えてくれました」と語った。
民団大阪本部顧問。民団中央本部では民族教育委員長を務めた。また、75年、在日光山金氏親族会役員として奈良県に韓国人専用霊園を造成した。95年済州道文化賞(教育部門)、01年大阪府教育委員会表彰、05年大韓民国勲章木蓮章受章。
葬儀・告別式は12日、近親者のみの密葬で執り行われた。5月16日18時30分から、生野区民センターで「偲ぶ会」を予定している。
(2016.3.30 民団新聞)