土屋品子衆議院議員(自民党、埼玉13区)は先月14日、韓国・全羅南道に埼玉産ヒノキの種(50万本分)を贈呈した。韓国人との交流を大切にしてきた参議院議員、埼玉県知事などを歴任した父の故土屋義彦氏が50年前、同道に贈った埼玉産の西川杉の種(90万本分)は、長城郡の山ですくすく成長している。義彦氏の精神を受け継ぐ土屋議員は「このヒノキがまた、日本と韓国の人たちをつないでくれたら」と期待している。
埼玉産の種50万本分
親子2代で緑化に貢献
「父の贈った小さな種が太い木になって、ひとつの大きな山になっている、感動でした」
以前、長城郡の山を訪ねたとき、土屋議員の目に飛び込んできたのは山を覆い尽くし、まるで森のようになった光景だった。
義彦氏は議員になったばかりの1966年2月、自民党訪韓議員団のひとりとして初訪韓する直前、伯父から「韓国ははげ山が多いから見てきなさい」と言われた。
帰国した父から当時、中学生だった土屋議員は、「本当に木が少なくて日本とは違う。苗木を贈りたい」という話しを聞いている。
義彦氏の行動は早かった。埼玉県知事ら関係者に協力を仰ぎ、準備を進めた。同年4月、西川杉の種子を贈るための贈呈式を埼玉県庁で行った。 義彦氏は太平洋戦争末期、静岡・浜松の第6連隊に配属された。二等兵だった。内地決戦に備え、防空壕掘りを連日やらされた。いつも空腹だった。
ある日、「兵隊さん、お腹がすいているんだろう」と声をかけ、麦飯をくれたのは韓国人だったという。
土屋議員は「父は韓国の人に助けられた。そのときの恩は一生忘れないと話していた」と当時を振り返った。
「韓国と国交が樹立した年に議員になったばかりの父は、韓国と仲良くして、これからいい時代を開くんだという思いで、自分には何ができるのかと考えて種を贈ったと思う」
それから50年が経ち、当時のことを知る人も少なくなった。
義彦氏が埼玉県知事になったとき、西川杉の種の話をしたことから、県の職員をはじめ、韓国や在日の友人たちが懸命に探し、長城郡にあることを突き止めた。土屋議員も韓国に行き確認している。韓国側もDNAを調べたところ、韓国にはない木であることが分かった。
「その山を所有していた人が種をまき、苗にして育ててくれた。父が種を贈っただけでそのまま放置されていたら木にもならなかった。まさに日本と韓国とが力を合わせて森を作ったということだと思う」
今回、土屋議員がヒノキの種を贈ろうと考えたのは、韓日国交正常化50周年を迎えた昨年、義彦氏のような活動をしたいと直接、全羅南道の李洛淵知事に手紙を送ったことから始まる。「快く受け入れていただいたことに対して感謝しています」
土屋議員から見た義彦氏と韓国との関係は濃いものだった。長い歴史のなかでは両国がいがみ合ったり、ギクシャクしたこともある。中学生の頃、「韓国のいろいろな方がわが家に来て泊まった。その方たちとは今も付き合っています。50年間、いろいろなことがあったけれども、政治的なことは抜きにして友情をつなげられるのは嬉しい」。
土屋議員は今回、種の贈呈をきっかけに、新たな時代に向けて両国の人たちの深い友情が生まれることを念願している。韓国には義彦氏を「兄貴」と慕う弟分が大勢いる。
今、韓国側で義彦氏の功績を称える碑の設置を検討しているという。
「政治の状況がどう変わろうと人と人とのつながりを大切にして、交流していくことは重要」だというのは義彦氏の理念。
「父は物に対する執着はなく、困っている人がいれば助けるために行動する熱い心を持った人だった。海外のあちこちに行っており、いろんな国にエピソードがある」。その最初の取り組みが韓国だったという。
(2016.1.1 民団新聞)