掲載日 : [2009-05-27] 照会数 : 5541
代表的作家・黄皙暎氏の〞決別宣言〟
[ 韓国を代表する作家の黄皙暎氏 ]
左派系知識人のあり方に一石
李明博大統領が10日から14日にかけて中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン)を訪問した際、韓国を代表する作家で親北韓・左派系として知られた黄皙暎氏(ファンソギョン=65)が特別随行員として加わり、親北・左派勢力から「変質」「屈服」「裏切り」などと猛烈なバッシングを受けている。南北関係が険悪化し、李明博政府を揺さぶろうとする北の対南政治工作が強まるなか、黄氏の「決断」は韓国社会にどのような影響をもたらすのか。北韓に対する韓国国民の情緒に影響を与えてきた有力知識人だけに、今後の言動が注目される。左派系知識人の在り方に一石を投じるものとなるのだろうか。
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中道的実用主義を支持
国力そぐ理念葛藤に警鐘
黄氏は1962年、『思想界』の新人文学賞を受賞して作家デビュー。『客地』『武器の影』『懐かしの庭』など純文学系の質の高い作品を発表する一方で、2000年から06年まで、韓国民族芸術人総連合会の正・副会長などを歴任した。
しかも、89年には秘密裏に入北して平壌に3年間滞在、ドイツ居留を経て93年に帰国、国家保安法違反で拘束収監され98年、特別赦免によって仮釈放された経歴を持つ。
これらは、韓国内の親北・左派だけでなく、在日同胞社会のそれに連なる勢力にとっても、彼を英雄視する決定的な条件となった。行動的社会派の重鎮として彼が持つ影響力は、韓国社会全体から見ても無視できないレベルにあった。
黄氏はかねてから、「モンゴルやカザフスタン、ウズベキスタンなど、文化・歴史的な関係の深い中央アジア諸国との経済・文化的な連合を通して、われわれの活路を開きたい」と「アルタイ連合」構想を提唱してきた。これは、李大統領のユーラシア大陸を重視する外交姿勢とも相通じる。
また、李明博氏とは服役中に二度面会して以来、個人的な親交が続いてきたという。現政府に対しても、「非核・開放・3000」構想は北にとって受け入れ難いものであるとし、対北関係の険悪化を招いた「責任」を厳しく批判しつつ、「それにもかかわらず、この政府を失敗させてはならない」と度々明らかにしてきた経緯がある。
「民族的逆賊」悪罵浴びる中
こうした脈絡から見て、黄氏が李大統領の中央アジア歴訪に随行することはさほど不思議ではない。
しかし、北韓や親北・従北の左派勢力が李大統領を「民族的逆賊」と悪罵し、揺さぶりの包囲網をつくろうとするなかでのことであり、大きな決断をともなったはずだ。
黄氏は外遊先での記者会見で、随行した理由について、「時代はもはや古典的な左右の枠では説明できなくなった。左派はリベラルでなければならないのに、古い慣行にとらわれている」と指摘し、「李大統領は保守・右派というより中道的実用主義であり、自分の考えと共通する部分がある。大きな枠で協力していきたい」と言明した。
バッシングの嵐に見舞われた黄氏は自身のブログで、繰り返される左右の葛藤が国力を消耗させている現状を憂えるとともに、李大統領が理念にとらわれない実事求是の精神を貫徹することで、中道的実用主義を具現できるよう強く望むと改めて明らかにしている。また、概ねこうも語った。
「理念的な戦争によって執権を繰り返すことになれば、左であれ右であれ、準備されていない政府と政策によって国政が行われ、二者択一を強いる新たな秩序づくりで5年ごとに国力を消耗させる。大衆との意思疎通が何よりも重要な時期であるだけに、大きな立場で保守・進歩の双方を批判する勇気が必要だ」
黄氏の中央アジア随行とそれに伴なう言動は、李明博政府への協力宣言というよりも、従北・親北に縛られた従来の左派的立場からの決別宣言と見るべきだろう。心の中では黄氏と同じ考えを持つ左派系知識人が少なくない。黄氏の決別宣言は、いわゆる左派・進歩陣営へのボディブローになろうとしている。
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学ぶべきドイツの経験
「民主」「人権」で譲らず 統一早めたタブーなき批判
進歩・左派と、その背後に見え隠れする北韓をも批判する勇気の必要性を強調した黄皙暎氏の、古い左派的立場からの決別宣言を機に、少なくとも、北韓への批判をタブーとしない空気が広がる契機となるよう期待する向きは多い。
南北関係が今後どのような紆余曲折をたどるか不透明ななかで、北韓の冒険主義を抑制する効果があるだけでなく、韓国を極度な国論分裂から救うことになるからだ。これについて、ドイツの経験を見ておくべきだろう。
1960年代後半の西独は、この間の韓国を上回る左右激突、世代間葛藤を経験した。「30歳以上の者は信用するな」とのスローガンを掲げて、ナチスと関わりのある親の世代との対決を鮮明にし、権威主義批判を繰り広げてドイツ社会を地殻変動させたこの運動の担い手は、「68世代」と呼ばれ、韓国の「386世代」との共通項も少なくない。
彼らは最初の戦後世代で、反権威主義や社会主義の思想を抱いた左派学生たちが中心だった。東独はこうした若者たちを西独ぐるみで扇動する政策の標的にした。
西独で失敗の東の政治工作
東独は秘密警察シュタージの要員を多数送り込み、活動家ばかりか政府高官にまで食い込ませた。68年9月には、資金提供を含む強力なバックアップによって、ソ連型モデルを肯定するドイツ共産党も再建している。
しかし、西独に対する東独の政治工作は大きな効果を発揮したとは言えない。スターリニズムの優等生であった東独の体制は、何よりも東独の学生・市民の怨嗟の的であり、西独の左派学生からも信任を得られなかったからだ。
西独の学生運動家たちは、東独の体制側の学生と頻繁に接触する一方で、反体制側とも連絡を密にしており、東独の民主主義の欠如に対しては厳しい批判を厭わなかった。自己の価値観の普遍化があったのである。
90年代に力を伸ばした従北
韓国における進歩・左派勢力は、70年代の自由主義的な民主化運動が国の在り方を根本から変えるに至らなかったとの総括から、社会主義に傾斜することで形成されたというのが定説になっている。
87年以降、「民族解放運動」系列の主導権を握った勢力は北韓の操縦下にあったわけではなく、独自勢力として北韓政権とは対等な関係を追求した。しかし89年以降、北韓が体系的な「指導」に乗り出し、それに従属する主体思想派(主思派)が力を伸ばした。
民族解放系列は対等勢力と従属勢力が混在するようになる。91年には汎民連(祖国統一汎民族連合)が結成され、従北勢力はここに結集し、対等勢力は民族会議(自由民主民族会議)を結成する。民族会議派は90年代中盤から北韓の民主化、人権改善を主張し始める。だがそこから、太陽政策優先派が分離していく。
韓国の民主化や統一運動の道程は、東独シュタージのような偽装工作員の介入によって常に脅かされ、ねじ曲げられてきた。ばかりか北韓は、韓国の運動が獲得した成果を自らの利益のために利用してきた。主思派の勢力拡張が示すように、南の運動は常に北の体制翼賛運動に従属させられる危険性につきまとわれている。
そこには、北韓は「抗日独立運動勢力が建国した自主の国」であるのに対し、韓国は「植民地支配勢力に依拠した隷属の国」とする誤った歴史認識や、社会主義に対する知的蓄積の希薄さもあったと分析されている。
しかしその韓国も、多くの歴史的経験を積んできた。左派系からニューライトへ転身する知識人や、過激な労働運動から脱退するか一線を画す労組も目立って増えている。変化がより大きなうねりとなってもいい時期にきた。
ヤスパースの勇気と先見性
ハイデッガーと並んでドイツの実存哲学を代表したヤスパースは1960年、テレビのインタビューで、国家が再統一されるかどうかよりも、東ドイツに自由選挙が行われること、民主的生活の可能な国家ができること先決であり、その他の細かいことはどうでもいいと断じた。これは当時、左右の非難にさらされたがドイツ統一にあたって、その勇気と先見性が改めて高く評価された。
加えて、冷戦時代の東西対話フォーラム「欧州安全保障協力会議」とそのヘルシンキ議定書(1975年)の果たした役割にも関心を向けたい。この議定書は「人権はもはや国家の内政事項ではない」とし、傷つきやすい人権の擁護は国家を超えた絶対重要課題であることを国際法的に認めた。これは92年に、「人権の貫徹のためには国家主権の制限も必要となりうる」との国連安保理の首脳会議声明によって補強された。
ヘルシンキ議定書によって、東独は民主化要求を武力弾圧する挙に出にくくなったと言われる。半面で、国際社会で批判が持ち上がった99年のコソボ空爆の合理化に利用されたとの指摘もある。しかし、人権蹂躙を内政の問題として扱うことは許されない、とする本質的な流れに変わりは見られない。北韓の人権問題も、この流れの埒外にあり続けるのは不可能である。
だが、北韓の人権状況がいくら悲惨でも、コソボ空爆のような手段をもって解決することはできない。だからこそ、韓国の進歩・左派知識人には、ヤスパースのように、本質的な問題から目をそらさず批判すべきは批判し、改めるべきは改めるよう北韓に促すことが求められる。それは、北韓が一線を踏み越えることを牽制するうえで大きな役割を果たすだろう。
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続く北の揺さぶり攻勢
試される社会成熟度
北韓は15日、開城工業団地の当初契約を無効にすることを一方的に宣言した。これに先立つ4月21日の南北当局接触で北側は、「工団の優遇措置を全面的に再検討する」とし、労働者の賃金引上げと2014年から支払うことになっていた土地使用料の繰り上げ支払を要求した。韓国側は進出企業も政府も、無条件で受け入れることはできないとの立場だ。
進出企業は全面撤退という最悪のシナリオまで心配し始めた。事実上の閉鎖となれば、進出企業がこうむる損失は下請け業者まで含めると、約4560億円以上に達するとの試算(企業銀行経済研究所)もある。
北韓にとっても今回の措置は、安定的な外貨獲得の貴重な手段を金剛山と開城の観光事業中断に続いて失うことを意味する。開城工団の約4万人におよぶ北韓労働者にも、動揺と不満が広がっているという。北韓は自らの抱えるリスク回避や利得維持より、対北姿勢をめぐる韓国内の葛藤を激化させる効果を優先したと見ていい。
折しも、米国産牛肉の輸入問題に端を発したロウソク集会がマスメディアの流したデマと左派の扇動によって暴力化し、反米・反政府運動として猛威をふるってから1年になる。
続いて、6・15南北共同宣言9周年から10・4南北首脳宣言2周年に至る間、北韓は平壌での大規模な民衆集会を組織するほか、韓国や海外の従北・親北勢力を総動員し、「民族共同宣言履行運動」の形をとって、李明博政府を揺さぶるものと見られている。
左派勢力は今後、これにどう呼応するのか。狂牛病騒擾で見られたような、強力な対国民扇動力を発揮するのか。それとも、国民意識がそれを許さないほどに成熟しているのか、注視される。
(2009.5.27 民団新聞)