掲載日 : [2018-06-27] 照会数 : 4852
金鍾泌元首相が死去…初代議連会長、日本と太いパイプ
[ 2004年1月の民団中央の新年会であいさつする金鍾泌氏 ]
韓国政界の重鎮だった金鍾泌元首相が23日午前、老衰のため92歳で死去した。青瓦台の尹永燦国民疎通首席秘書官は同日、金元首相の訃報に対して「韓国の現代政治史に残した故人の足跡は消えることはない。われわれは長らくその死を悲しむだろう」との功績をたたえたコメントを発表した。民団中央本部は呂健二団長名の弔電と弔花、高漢碩本国事務所長を弔問に送った。
金元首相は1926年生まれ。ソウル大や陸軍士官学校を卒業後、63年に共和党旗揚げを主導し、同年の第6代国会議員総選挙で当選。7~10代、13~16代と9期にわたり国会議員を務めた。また、自由民主連合総裁を務め、朴正煕政権と金大中政権の2度にわたり首相を務めた。金元首相は初代韓日議員連盟会長を務め、日本と太いパイプがあった。
韓国政府は2005年8月26日、65年6月の日韓基本条約締結までの両国間の交渉文書を全面公開した。対日請求権問題を政治決着させた金中央情報部長と大平正芳外相(いずれも当時)の間で一致した「無償3億ドル、有償2億ドル、民間協力資金1億ドル以上」を主内容とした「金・大平メモ」(62年11月12日)をはじめ、領有権で対立する独島を巡るやりとりなどを初めて公式に明らかにした。
99年9月1日には、韓国の公賓として初めて首相として日本を訪問し、小渕恵三首相(当時)との会談で永住外国人の地方参政権付与問題や2002年の韓日共催サッカーW杯の年を「韓日国民交流の年」として推進することなど、未来関係の韓日関係構築の重要性を強調した。同日には民団中央会館、4日には大阪で在日同胞との懇談に出席した。中央本部には「新たな千年の創造と繁栄」と書かれた元首相の揮ごうが掲示されている。大阪では王仁博士の墓を訪れ、韓日文化交流の先導的な役割を果たした先祖を称え、山桃の苗木を植樹した。
(2018.06.27 民団新聞)