
C氏は1990年代に近畿地方で生まれた女性で母親が在日韓国人、父親は日本人である。彼女自身は日本国籍だ。先祖がいつ日本に渡ってきたのかは定かではなく、少なくともC氏が在日3世以降であるということしか分からない。家庭には在日特有の文化はほとんど残っておらず、日常的に韓国料理を食べたり、チェサを行ったりということはなかったという。 こうした家庭環境であったためか、自らが在日韓国人の家系に生まれたことを知ったのは遅く、大学3年生の時であった。パスポートを申請する際に、戸籍謄本を取り寄せたところ、母方の祖父母の名前が民族名で記載されており、初めて自身のルーツを知った。彼女はそれまで自身の出自について家族から説明を受けたことはなく、また、現在までも「なぜ出自を教えてくれなかったのか」と問い質すこともなかったと言う。
C氏にとって出自の「発見」は、喜びというより戸惑いに近かった。彼女は「知らなかったということ自体がショックだった」と振り返る。当時の彼女にとって、韓国は「ニュースであまりいい話題を聞かない国」という印象であったからだ。
C氏が青年会に参加したのは、2024年に開催された母国訪問がきっかけである。当時住んでいた地域の民団のSNSをフォローしており、そこで母国訪問について情報を得たのである。
他方で、母国訪問は彼女が在日韓国人に囲まれる空間に初めて参加した経験でもあり、驚くような場面もあったという。たとえば、「みんな割と周りに何世ですかって聞いたり、初めての人と話す時に聞かれたりするから、やっぱりここは在日社会なんだなって思います」という。
C氏:前も勉強会で、いろんなテンションで、私は日本人ですって言ったんですけど、確かに日本人ではあるんですけど、なんか、韓国のルーツがあることは間違いないから、そういうところも大切にしようねみたいな、そういう気持ちはこう芽生えたというか。ウリナラマンセーを浴び続けると私もウリナラの一部みたいな。そういう気持ちになってきたところはあります。
この語りには、C氏が民族的な実践を通じて、在日韓国人に「なる」過程を読み取ることができるように思われる。
ここまで、C氏の生活史について紹介してきた。彼女にとって、青年会は自身のルーツを再認識する場として機能していたことがわかる。一方で、現在の活動内容に疑問を感じる場面もあるという。
筆者:Cさんって結構勉強にも関心あるじゃないですか。でも青年会って遊びのイベントが多いですよね。どう思いますか?
C氏:よくないと思いますよ。民団の歴史があるじゃないですか。やっぱり、在日が差別されてきたっていう過程があって、そのなかで、指紋押捺拒否運動あって、そういう歴史があるなかで、青年会って1世、2世、3世の人たちがやってきたことを受け継がないといけない団体ではあるじゃないですか。今でこそ韓流ブームとかもあって、韓国人とか在日に対する差別ってある程度なくなってきていますけど、まだ目に見えない差別とかはあるし。やっぱり差別に対する権利団体っていうのは、存続していかないといけないから、そういう意味でも、そういう方面の意欲を高めるようなことも大事なんじゃないですかね。
C氏は青年会を在日韓国人の歴史のなかに位置づけることで、差別への対応や権利団体としての性格を重視している。しかし一方で、現在の活動内容ではそうした意識が醸成されていないため、疑問が生じているのである。
彼女の青年会に対する批評には、歴史の記憶と今の社会をどう結びつけるかという論点を見出すことができる。かつての運動の歴史を踏まえつつも、共生をめざす新しい方向性を好意的に捉える彼女のまなざしは、在日の歴史と現在を架橋する試みを考えるうえでも示唆を与えてくれるものである。
また、過去と現在を架橋しようとする姿勢は、彼女の生活史とも部分的にオーバーラップしているように思われる。C氏の語りにおいて、「大学3年生の時に出自を知った」というできごとは、単なる事実の発見ではなく、語られなかった過去を現在の自分へと接続する契機であった。たとえば、韓国語学習や青年会への参加は、語られなかった自身の民族性を充填する試みであったと考えることもできるだろう。彼女が青年会に対して「遊びばかり」と違和感を語るのも、そこに過去と現在をつなぐ物語の不在を感じるからかもしれない。
民族とは、彼女にとって、血統でも国籍でもなく、忘れられた時間を現在に呼び戻すための実践である。C氏の語りには、そうした「過去と現在を結ぶ」在日のあり方を読み取ることができる。