掲載日 : [2021-12-08] 照会数 : 4386
韓日の懸け橋となった浅川兄弟の漫画、小学校の副教材に
[ 学習漫画の表紙写真 ] [ 顕彰碑について説明する河正雄さん ]
浅川伯教・巧兄弟…北杜市が初の漫画化…巧の生誕130年記念
【山梨】日本統治下の韓半島で白磁や膳などに工芸品としての美しさを見出し、荒廃した山林の緑化にも尽力した浅川伯教(のりたか)・巧兄弟の生涯と業績を描いた学習漫画『評伝 浅川伯教と巧~十四冊の日記帳』(澤谷滋子作、飛鳥あると画)が完成した。発行者は兄弟の出身地である山梨県北杜市。市内の公立小学校で副読本としても活用される。兄弟の評伝が漫画化されたのはこれが初めて。11月28日、「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」で関係者に配布された。
日本の植民地統治下の韓国の実情を丹念に描き大人にも読み応えのある内容。浅川巧が遺した14冊の日記帳(1922~23年)をもとに浅川伯教・巧兄弟料館(北杜市高根町)で学芸員を経て館長を歴任した澤谷滋子さんが原作を担当した。
A5判200㌻の6章立て。プロローグは北杜市役所の前身である高根町役場に韓国在住の金成鎮さんが浅川巧の日記帳を寄贈するシーンから始まる。金さんは解放の年、伯教から預かり、50年間というもの大切に保管してきた。韓国戦争の時は家財道具は持たずとも日記だけは肌身離さず保管し、守ってきた。現在は北杜市指定有形文化財に指定されている。
漫画を担当した飛鳥あるとさんは岩手県一関市在住の新進。同学習漫画制作委員会が飛鳥さんを含む候補者5人のなかから北杜市内の中学生100人のアンケートをもとに決定した。劇画風タッチで兄弟の表情を生き生きと描いた。
先に渡韓した伯教はとある道具屋で庶民が日常的に使う焼き物である白磁と出会い、魅了される。それからは韓半島各地で破片を採取するなどして、朝鮮陶磁史の研究に生涯をささげた。
兄の影響を受けて韓国に渡った巧も白磁や膳などの民芸品を愛し、名著『朝鮮の膳』を出版。また、林業技師としても韓国の風土に適した植林の育成法を開発した。現地の韓国人とも進んで心を通わせ、「泥の池に咲き出た一輪の白い蓮の花」(金成鎮さんが高根町にあてた手紙から)と慕われた。
漫画は「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」(仁科雅会長)が中心となって「浅川巧生誕130年・没後90年」の今年に向けて5年前から発刊を準備してきた。北杜市は学校現場での活用にあたって「『偲ぶ会』に話をしてもらいたい」と応援に期待している。来年には読書感想文コンクールを通じて図書の普及を図る。
発行所は浅川伯教・巧兄弟資料館(0551・42・1447)。
◆顕彰碑お披露目 在日2世の河正雄さん
「偲ぶ会」に先だって在日2世の河正雄さん(82、埼玉県川口市)が北杜市に寄贈した「浅川伯教・巧兄弟ブロンズ・レリーフ顕彰碑」のお披露目式が11月28日、同資料館前庭緑地で行われた。
顕彰碑は南アルプスを望む同資料館南側に建つ。式典で北杜市の上村英司市長は資材を投げうって寄贈した河さんに感謝の意を表しながら「浅川兄弟の精神を広く伝え、韓国の人との交流の場を広げていきたい」と述べた。駐横浜総領事館の尹喜粲総領事も「韓日友好を拡大するうえで大きな意味がある」と喜んだ。
河さんは60有余年にわたって浅川兄弟の顕彰活動を行ってきた。この顕彰碑はその「集大成の心」と位置づけ今年1月、上村市長に面会し、寄贈を申し出ていた。
碑の高さは160㌢。横から見ると東京の上野公園内に建つ王仁博士の碑をモチーフにした五重塔になっているのがわかる。正面に兄弟の顔をデザインしたレリーフに加え、「露堂堂」と記した石板を設置した。
この言葉は哲学者・教育者の安倍能成がつづった浅川巧への追悼文「その人間の力だけで露堂堂と生き抜いていった」から採った。河さんは秋田県立工業高校3年の時にこの言葉に感動し、「在日」として生きる上での哲学としてきた。
「露堂堂」は禅語。この言葉にはさまざまな解釈がある。河さんによれば「良いことをすれば良い結果が表れ、悪いことをすれば必ず悪い結果が起こる」のだという。浅川巧への憧れと感謝の念を抱いた河さんは後にその足跡を追うようになった。数十年前から地元に顕彰碑がないことを残念に感じ、「シンボルとしての碑を残さねば」と建立を思い描いてきた。
(2021.12.08 民団新聞)