2016年にヘイトスピーチ解消法(「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)は成立した。我々在日韓国人に対する差別を命題に「新たに法を創る(立法)」という対処がされた例は、日本社会の中には見当たらない。罰則なき理念法であり、残念ながら実効性は乏しい。しかし、この法律を基に各地方自治体での条例制定が進み、差別撤廃の声は裾野を広げた。この法律の発効から10年を迎えるに際し、成立当時を振り返りたい。
▼在日差別。これは決して近年に限った問題ではないが、京都朝鮮学校襲撃事件(09年)や徳島県教組襲撃事件(10年)に象徴される、「一線を越えた」と思わせる事件が2000年代後半から発生し始める。「在日特権を許さない市民の会」らに代表される、市民運動形態での威圧的・暴力的な差別排外主義運動の台頭である。差別排外主義者達はデモ活動を中心に差別的・排外的主張を繰り返し、暴力的な活動内容をネットで喧伝・拡散することで煽情的に支持を拡げようとした。
活動地域も、東京、大阪、川崎、横浜、千葉、福岡、神戸、広島、愛知、札幌など広範囲に及んだ。中でも新大久保(東京)、鶴橋(大阪)での活動は特に激しい状態にあった。13年初頭の新大久保地域では、毎月頻繁にヘイトデモが襲来するに至っており、毎回2~300名ものデモ隊が「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」、「日本から出ていけ」、「来ルナ帰レ死ネ」といった差別的・排外的なプラカードを掲げ、同旨のコールを叫びながら練り歩いた。襲来するヘイトデモによって客足が離れ、売上が3~4割下落したと嘆く商店主も多数にのぼる。
しかし、市民による抵抗運動も発生、激しい衝突を見せ、同地域ではデモの度に騒乱状態となっていった。同年7月7日に予告されていた「東京韓国学校補助金撤廃デモin新大久保」と題するヘイトデモが各方面の尽力によって初めて開催中止に追い込まれた後、同年9月8日のヘイトデモを最後に、大久保通りを通過するヘイトデモは現在に至るまで一度も再発していない。こうして象徴的であった新大久保地域でのヘイトデモは沈静化を見た。
鶴橋でも、現地関係者の地道な取り組みによってヘイト活動は沈静化していったが、他の地域でのヘイト活動は継続されていたし、現在でも続いている地域もある。
▼こうした背景の中、有田芳生議員(民主党・当時)、白眞勲議員(民主党・当時)らによる議員連盟により、第189回国会にて「人種差別撤廃施策推進法案」が参議院へ提出された(15年5月22日提出。以下、「野党案」という。)。これを契機に第190回国会の参院法務委では活発に審議され、川崎・桜本地域での現場視察も実施された。当時の参院法務委各位には、改めて深い感謝と敬意を表したい。
審議を経て与野党間でも認識が一定程度共有されたが、法案の対象範囲の広狭につき合意に至らず、野党案を否決しつつ与党側から法案を提出し直すこととされた。こうした経緯で成立したのが「ヘイトスピーチ解消法」である。この法案は16年5月12日に参院法務委を全会一致で通過し、同年5月13日に参議院本会議を賛成221票/反対7票という圧倒的多数の賛成を以て通過した。そして、衆院法務委も全会一致にて通過し、同年5月24日に衆院本会議を通過して成立。同年6月3日に公布・施行となった。
この立法過程においては、本団呉公太中央団長(当時)以下役職員の精力的かつ積極的な要望活動が展開され、1万筆を超える署名も参院法務委に提出された。果たして、この法律は成立したが、これは私達の声が、日本社会の理解と協力を得て、この国の「立法」という創造的権力作用に届いた瞬間でもあった。
「罰則なき理念法」というささやかで不完全な内容であったにせよ、私達の声が「この国の立法」に初めて届いた例となった。
▼この法律の施行から10年が過ぎようとしている。現在では、各地でのヘイトデモやヘイト街宣は大幅に減少している。また、この法律を土台として様々な自治体での条例制定も進んだ。東京都、新宿区、川崎市など、この法律を土台として外国人差別に関する条例を制定した自治体は30を数える。しかし、罰則規定を備えた実効的な条例が制定された例は殆どなく、今後またヘイトデモが頻発する状況に陥らない保証はどこにもない。加えて、条例制定後も京都ウトロ地区放火事件(21年)、民団愛知放火事件(21年)、民団徳島本部脅迫事件(22年)など多数の事件が示すように、被害を十全に防止できているとは言い難い。次世代への「宿題」は未だ終わってはいないのだ。
▼昨今の入管法改定問題に見る通り、日本の外国人政策は厳格化の一途にあり、行政による差別に限らず、差別排外主義的な活動家、YouTuberらの活発化を懸念する声も小さくない。私たち在日韓国人にとっての「これからの10年」を如何に考え、次世代への「宿題」を如何に果たすのか?