
青年会中央本部(李将浩会長)は在日韓国人青年の実態や価値観を多角的に把握し、今後の組織運営や多文化共生社会を生きる人々にとっての手がかりとするため、「在日韓国人青年生活史調査」を実施している。本研究では、現代的な潮流を踏まえて、在日韓国人青年のアイデンティティ形成過程や生きづらさに注目した。そして、これら2点をめぐる語りを踏まえたうえで、現代の在日韓国人青年にとって青年会といった民族団体がいかなる意義を持つのかという点に迫る。
D氏は1990年代、近畿地方で生まれた女性だ。両親はともに韓国籍で、彼女自身も韓国籍である。曾祖父が日本へ渡っており、彼女は在日4世となる。
自らが在日韓国人であると知ったのは小学校4年生の時。夕食中、兄弟との会話のなかで祖父母が「日本人ちゃうで、韓国人やで」と言ったことがきっかけだった。これを聞いた彼女は驚きながらも嬉しく感じ、翌日学校で「私、韓国人やねん」と友人に話したという。彼女にとってその発見は「特別なこと」であり、嬉しさを伴うものであった。
祖父母は民族意識が強く、民団に所属して団費を納め、家には民団新聞が届いていた。祖父は民団制作のDVDをD氏に見せ、「自分のルーツを知っとかなあかんで」と語っていたという。
D氏は小学校のころから日本名を使用していたため、前述したように友人に自身が在日韓国人であることを公言していた。そのため、小・中学校の同級生の多くは彼女が在日韓国人であることを知っている。また、高校では、在日であることをクラス全体に公言することはなかったが、親しい友人には早い段階で打ち明けていた。大学でも日本名を使用することを選択した。この顛末について以下のように語る。
D氏‥ウリ文化祭っていうのがあって、そこで弁論を同い年の子がしてて。その弁論してた男の子が、奨学会で仲間ができて、自分が通ってる高校での名前を通名から本名に変えたら、からかわれるとか、韓国人のくせにとか言われたって言ってて。名前を変えてしんどかった思いも、泣きながら弁論で喋ってる姿見て、それ〔名前を変えること〕ってすごい勇気のいることやったろうし、それをみんなの前でこう言える。到底自分にはできないけど、何かこう、力をもらった気がして、自分もどこかでそんなことできたらいいなと思って。それで、大学行く時に1回悩んだんですけど、結局通名にしました。大学ではもう、自己紹介でちゃんと初っ端から自分が在日だっていうのは言ってました。
これは、日本名と民族性それぞれへの思いを両立する、D氏の戦術であると言えるだろう。彼女の語りは、「日本名を使用することは民族性を隠すことである」という理解の単純さに再考を迫るものである。
大学卒業後は小学校教員となり、外国にルーツをもつ児童の支援に関わるようになる。最初に勤務した学校は「同和教育推進校」であり、人権教育・在日教育に積極的に取り組む現場だった。
彼女は自身の出自を強みとして意識し、「外国にルーツのある子どもに寄り添える先生になりたい」と考えるようになった。現在は大阪市の外国人教育企画会にも所属し、人権教育担当として学校全体の多文化共生教育を推進している。
青年会との関わるようになったきっかけは大学時代の学生会である。
筆者‥青年会って飲み会とかが多いと思うんだけど、そのなかで、どういったところで在日としてのアイデンティティとかって芽生えたり意識したりするんだろう。
D氏‥逆なんちゃいます。飲み会やから、みんなもう酒だけ飲んで喋りまくってるわけじゃないですか。もうなかには、アホな先輩やなとかって思うわけじゃないですか。ただ、そんな飲んだくれてるおバカな愉快な方々が、ふとした瞬間になんか国籍の話したり、ふとした瞬間にルーツの話した時に、ちょっとこう、表情変わったりとか、そこはすごく真剣やったりするのが、なんかいいな。
一方、在日でよかったと思える場面として、「他の人に還元できたこと」も挙げている。以下はD氏の職場でのできごとを述べているものである。
D氏‥在日っていうことを自分のクラスに公表した時に、子どもたちのなかで、私も実は韓国ルーツって言ってきてくれた女の子がいて。その女の子とその保護者を、学校外の行事ですけど、そういったルーツのある子しか参加できない行事に連れていくことができたことがあって。
そのお母さんが卒業された学校の民族学級が40周年迎えて。40周年記念の式典にお母さんをつないだんです。そういった他の人にも還元ができた時、自分の力だけではないけども、自分が在日やったってことで、お母さんも安心してそういったことを打ち明けてくれたんじゃないかなと思って、すごい嬉しかった。
この語りをみると、「他の人に還元できたこと」とはつまり、彼女が民族を通じて他者に新たな経験やつながりを提供することである。
すなわち、民族は彼女自身が他者とつながる基盤であるだけではなく、他者をまた別の他者や経験につなげる基盤にもなっている。
D氏の語りは、在日韓国人としての生が、もはや「属性」ではなく、「関係のあり方」であることを教えてくれる。民族を生きるために、名前に自身の民族性を託す必然性はない。日本名を用いながら、在日韓国人として他者と関係性を紡ぐこともできる。
また、青年会や学校での経験にみられるように、民族は誰かと共に語り、笑いあうことを可能にしてくれる基盤になり得る。こうした彼女の経験は「つなぎ/つながる民族」のあり方を示してくれている。