掲載日 : [2019-05-22] 照会数 : 7403
虐殺の事実伝え10年 関東大震災韓国・朝鮮人追悼碑(東京・墨田)
[ 追悼碑前の庭でホウセンカの種をまく市民 ]
ホウセンカの種をまく市民有志
関東大震災時に多数の同胞が犠牲となった東京・墨田区の荒川放水路堤下。現場にほど近い旧四ツ木橋のたもとにある私有地に建つ韓国・朝鮮人追悼碑前の庭で18日、市民有志がホウセンカ(鳳仙花)の種まきを行った。9月に河川敷で営む犠牲者追悼式を前にしての恒例行事でボランティアの有志10数人が参加した。追悼碑は今年9月に建立から10周年を迎える。
追悼碑の建つ庭には碑を取り囲むようにチンダルレとムクゲ(無窮花)を植えている。この日はホウセンカを播種する前に雑草を取り除き、日差しの恵みが届くようにチンダルレを剪定して、高さをそろえた。
すっかりきれいになると、培養土を播き、10~15㌢間隔で小さな穴を掘って、注意深く1~2粒ずつ種をまいていった。8月から追悼式の行われる9月にかけて赤や白、ピンク、紫の花をつけることだろう。
追悼碑は多くの韓国・朝鮮人が犠牲となった現場である荒川河川敷に建てる計画だった。市民団体が88年から10数年間、国や墨田区と交渉を重ねたが、「旧四ツ木橋付近で虐殺があったことは、公的文書で確認できない」と協力を得られなかった。途方に暮れていたところ、区内の日本人有志が「追悼碑を建てるならば」と、約12坪ほどの私有地を提供してくれた。
地元では決して愉快でない追悼碑のはずだが、建立すると地元在住の複数の在日韓国人が歓迎のカンパを寄せた。日本人住民は「おじいさん(おばあさん)から(虐殺の)話を聞いている。犠牲になった方々を弔いたい」と通りがかりにそっと手を合わせるようになった。
建立前の2008年から6年間、隣の民家で追悼碑を見守り続けてきた一般社団法人「ほうせんか」の西崎雅夫さんは「ここで虐殺があったことを決して隠してはいけない。住民は日々、追悼碑に接することで本当に意味のある歴史を取り戻すことができる」と話している。
今年の96周年追悼式は9月7日15時から木根川橋たもとの荒川河川敷で。李政美さんが犠牲者を追悼する歌を捧げる。参加費無料。
(2019.05.22 民団新聞)