掲載日 : [2021-12-23] 照会数 : 3894
「北送」の犠牲者偲ぶ…新潟港の埠頭で追悼式
[ 花を手向け死者の冥福を祈る ]
【新潟】在日同胞家族と日本国籍を所有する伴侶など合わせて957人を乗せた第1次北送船2隻が新潟から出港してから62年目の14日、市内の中央埠頭で追悼式典が営まれた。北韓の人権問題に取り組む関係者ら30人が参加した。
はじめに脱北者の一人、川崎栄子さん(NGO「モドゥモイジャ」代表)が共催団体を代表して「在日同胞らを地獄の底に叩き込んだ事業はここから始まった。(北韓で)どれだけ過酷な生活を強いられたか。この埠頭に来ると涙が止まらない」と追悼辞を述べた。
川崎代表が単身、北韓に着いたのは1960年のこと。当時17歳だった。清津港に着いたとたん「だまされた」とわかった。港では一人の男性が「誰も降りてくるな。その船で帰れ」と大声で叫んでいるのを目撃した。その男性は一足早く日本から入国した在日同胞だったという。
参列者全員の黙とうが終わるのを見届けた川崎代表はただ一人、一輪の花を手にとると海に投げ入れ、その場でうずくまって泣き崩れた。
川崎代表によれば、北送船に乗船した在日同胞らのうちいまも生き残っているのは「ほとんど数えるほど」だという。特に、日本人の妻や夫は強制収容所に送られていったケースが目立つという。
全員の献花が終わると、中央埠頭に鎮魂の太鼓が響き渡った。