掲載日 : [2020-07-08] 照会数 : 5342
共に生きて30年「こころの家族」尹基理事長に聞く

相手を尊重、違いを恵みに
在日韓国老人ホーム「故郷の家」が大阪府堺市に竣工したのは1989年10月のこと。在日韓国人と日本人の高齢者が共に暮らす共生の老人ホーム構想は全国的にも大きな共感を呼び、神戸、京都、東京へと広がっていった。運営する社会福祉法人「こころの家族」の尹基理事長に「共に生きて30年」を振り返ってもらった。
法人名には尹さんが、「韓国に帰れなかったお年寄りたちをこころで迎えるホーム。日本に暮らしていても、ふるさとの香りに包まれるホームであってほしい」との願いを込めた。
「故郷の家」では韓国と日本の2つの文化を大事にしている。一般の老人ホームとは雰囲気がまったく違う。歌でいえば「アリラン」と演歌の共存だろう。室内はオンドルの設備があり、畳も敷かれている。尹さんは「相手の意見や考え方を尊重しあい、お互いの違いを恵みとして受け止めてほしいから」という。
尹さんは84年6月、朝日新聞「論壇」を通じて「国家を超え、日本を超えて両国が共に暮らす『故郷の家』をつくる」という思いを訴えた。きっかけとなったのは在日韓国人高齢者の孤独死問題だった。「日本に住む外国人が日本がいいといえるような共生社会になることを願った」
この訴えが日本社会を動かした。2月には日本の財界をはじめ文化、教育、福祉の各界から451人が発起人となり「在日韓国人老人ホームをつくる会」が誕生。菅原文太さんらによる募金で3128件1億8千433万4689円が集まった。
堺に在日韓国老人ホームが竣工すると、神戸市から見学に訪れた高齢の在日韓国人が一目見るなり気に入り、「神戸市にもつくってほしい。『故郷の家』で死にたい」と5000万円を寄付した。善意が広がり、1万3000件の寄付が集まった。その後、京都建設では2万2000件の寄付が寄せられた。
もう一人、大阪興銀理事長当時の故李熙建さんからの大口寄付も忘れられないという。尹さんが寄付をお願いに行くと500万円を差し出してくれた。しかし、尹さんは内心、1億円を希望していた。李氏は驚きながらも「こういうことは継続していくことだから」と、約束どおり毎年1000万円ずつ5年間にわたって寄付を続けた。
8年後の28年は社会福祉法人「こころの家族」が認可されて40周年。併せて尹さんの父、尹致浩さんが設立し、韓国戦争で行方不明になった夫の帰りを待ちながら3000人の孤児を育てた田内千鶴子さんが生涯を捧げた木浦共生園の創立100周年にあたる。これを機に韓国の親孝行の精神と日本人の思いやりを融合させた介護サービスを教える「介護専門大学」を神戸に、「100年に学ぶ共生福祉センター(仮)」の立ち上げを木浦で計画している。
(2020.07.08 民団新聞)