掲載日 : [2020-09-09] 照会数 : 5586
抜け落ちる加害の歴史「軍艦島‐朝鮮人強制連行の記憶」…資料館がロビー展
[ 韓国中央会館1階ロビーで行われている在日韓人歴史資料館の「軍艦島-朝鮮人強制連行の記憶」展 ]
「軍艦島-朝鮮人強制連行の記憶」と題したロビー展が東京・港区の韓国中央会館で開催されている。在日韓人歴史資料館がノンフィクション作家、林えいだいさんの遺作となった著書「写真記録 筑豊・軍艦島」から抜粋した。
軍艦島は長崎県にある小さな離島で正式名称は端島(炭鉱)。海に浮かぶ姿が軍艦土佐に似ていることからそう呼ぶようになった。唯一の出入り口を撮影した写真には「一度は入ったら出られないことから地獄門といわれている」との説明が添えられていた。
日本最古とされる鉄筋コンクリートの最下層、日照が十分でないところに朽ち果てた朝鮮人の飯場跡が残されている。写真説明には「寮に配給された食糧のうち約半分を労務係が横取りし、朝鮮人は残りの半分しか食べられなかった」とある。
徐正雨さん(64)は慶尚南道出身。祖母と一緒に農作業をしていたところ、面巡査によって徴用され、端島に連行された。当時14歳。約束していた勤務時間は当初8時間だった。しかし、いつのまにか2交代12時間に。採炭量が1日の目標に達しないと長時間労働を強いられるようになったようだ。北の海を見ながら「故郷にいつ帰れるのか」と毎日泣いていたという。
2010年9月、クルーズ船で廃墟となった端島を訪れた姜徳相前館長は「日記抄」に「日本の加害の歴史が抜け落ちている」と次のように記した。
「引率者の説明によれば、この島で働いた人は最も高い賃金を支給され、家族は高層アパートで最高の文化生活を享受したという。しかし、朝鮮人、中国人にとって軍艦島であり、海底の過酷な労働現場であったことことの言及は一言もない」
(2020.09.09 民団新聞)