小学生から新大久保(東京・新宿ク)に暮らす女子大生のもーちぃさんが、コラムを通じて街の魅力を紹介する。
新大久保に住んで14年が経つ。私は「日本一新大久保に詳しい女子大生」という肩書を持ち、新大久保と韓国のトレンドをメディアで紹介したり、韓国制服レンタルのブランドをプロデュースするなどの仕事をしている21歳だ。
小学2年生の時に新大久保に引っ越してきた私にとって、人生のほとんどの思い出は新大久保にある。都内の学校から転校をした先で待っていたのはとても楽しいとは言えない毎日だった。
今思い出しても人生のどん底だったと思う。新しい環境や、友人になじめず、教室内では無視やいじめをされることも多く次第に不登校になってしまった。
そんな時に新大久保に訪れたのが少女時代やKARAをはじめとしたK‐POPブームだ。平日、休日を問わず、道をまっすぐ歩けないほど大勢の観光客が押し寄せ、そこら中から韓国語の明るい歌が聞こえてきた。
今でこそK‐POP三昧の日々を送っている私だが、当時はそんなK‐POPのことを耳障りにすら思っていた。
私にとって、親から学校に行かないことを叱られ、無理やり行きたくない学校に連れていかれ、友だちに無視をされる日常が流れる新大久保で楽しそうにしている人に対して怒りに似た感情すら持っていた。
好きなアイドルのグッズを友だちとキャッキャと騒ぎながら買っている女の子、韓国のコスメや食材をこれでもかと言うほど買っているマダムたち。自分たちの「好き」が並ぶ新大久保に来ている人はみんな笑顔でキラキラ輝いて見えた。
そんな人の群れを泣きながらかき分け、家に帰ったこともあった。「この街で楽しくないのは私だけだ」そう思っていた。そんな私の傷を癒してくれたのもまた、新大久保であった。
家の近くにあった韓国料理店に家族で行ったとき、はじめて韓国料理を食べた。当時、自分のイライラを新大久保という街にぶつけていた私にとって、韓国料理に抵抗があったものの、そのおいしさに感動したのを覚えている。
どうやら家族も同じ感動を覚えたようで、我が家はその韓国料理店の常連客になり、オーナーの開催する韓国料理教室やイベントにも参加するようになった。
韓国料理に胃袋を掴まれた私は、積極的に教室やイベントにも通うようになり、新大久保に集う人々と交流を持つようになった。そこで出会った人々は韓国を食、ドラマ、音楽など様々な分野から愛しており、それを仕事としている人もいた。
当時10歳にもなっていなかった私の20も30も年上の大人ばかりの会だったが、各分野の韓国好きの人が私にその素晴らしさを教えてくれた。そうして少しずつ韓国の世界に足を踏み入れると、いつの間にかどっぷりと沼にはまっていたというわけである。
韓国のコンテンツを楽しめるようになった時、この街はどれだけ韓国好きの人にとって楽しく素晴らしい環境であるのかが分かった。
そして、そんな新大久保に住んでいる自分は恵まれているのではないか! ということに気づいた時、私もまた、新大久保という街を笑顔で歩く一人となっていた。
傷つき恨んだ新大久保を好きになれたのは、この街に集う人々と彼らを魅了する韓国の素晴らしいコンテンツだった。
韓国ブームが再到来している今、新大久保の魅力を発信することで人々が韓国コンテンツを通じて繋がり、さらに活気のある街にしたいと考えている。
(2021.01.27 民団新聞)