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実際に起きた冤罪事件を題材にした韓国・普遍的劇団と日本・名取事務所の共同制作『四番目の人』が、東京の下北沢・「劇」小劇場で28日まで上演中だ。韓国出身で現在は日本で活動する翻訳者・ライターのキム・ミンジョンさんに劇評をお願いした。
『四番目の人』は、無実でありながら検察によって起訴され、有罪判決を受けた少年をめぐる物語だ。劇場に入ると、1980年代後半から90年代に流行した韓国の歌謡曲が流れ、一瞬でその時代へと引き戻される。
物語は17年前のある日から始まる。内気な少年チェピルがスーパーで人を刺したとして逮捕される。ところが取り調べ室に現れた中年女性が、「彼ではない。犯人は私だ」と告白する。しかし検事は「もう終わったことだ」と彼女を追い返し、少年を起訴する。
女性は安堵しただろうか。そうではなかった。彼女はその後も「自分が犯人だ」と訴え続け、一人でデモを行い、ビラを配る。法が裁いてくれない罪をどう償えばいいのか。彼女の心に残るのは後悔と苦しみだけだ。それでも彼女は、「幽霊に出会ったから告白できた」と語る。
場面は17年後へ移る。今度は検事の娘ウンジが人を刺して逮捕される。かつて少年を起訴した検事が今度は娘を無罪にしようと奔走する。ウンジは失感情症を抱え、自分は何も感じられないと言う。自分には魂がないのではないかと苦しみ続ける。そして父に向かって、「17年前のことを本当に覚えていないのか」と問い詰める。少女は誰を殺したのか。本当に犯人なのか。被害者と加害者の立場が次々と反転していく、巧妙な心理劇である。
17年前の事件に関わった少年、中年女性、そして検事。すでに終わったはずの事件を、「四番目の人」である少女の視点から見つめ直したとき、まったく異なる真実が現れる。
少女から見れば、加害者は被害者であり、父親こそが悲劇の元凶である。そして彼女自身は、その血を受け継いだ者として、父の罪を代わりに背負わされているかのように苦しむ。そのために、自らを「魂のない人間」だと思い込んでいるのだ。
ウンジが繰り返し口にする「魂」は、中年女性が語る「幽霊」と響き合う。それは人を救う光であると同時に、人を苦しめる存在でもある。言い換えれば、「良心」なのではないだろうか。実態のない、曖昧な「良心」を作者は「魂」や「幽霊」に置き換えている。
細い棒に囲まれた舞台は息苦しい。海の場面だけが青く光ってほんの少しの希望を与えてくれるが、それでも殺伐としており、観客はまるで檻の中に閉じ込められたような感覚を味わう。俳優たちの迫力に圧倒され、上演中はため息すらつけなかったが、劇場を出た瞬間、涙があふれた。
この作品のモチーフは、「ナラスーパー3人組強盗事件」だと思われる。1999年2月、全羅北道の小さな売店で高齢女性が殺害され、金品が奪われた。数日後、近所に住む貧しい少年3人が逮捕された。そのうち2人には軽度の知的障害があった。彼らは自白し、有罪判決を受けた。ところが服役中に真犯人が見つかる。しかし捜査は行われず、少年たちは刑期を終えるまで収監されたままだった。
出所後、被害者遺族や弁護士たち、そして真犯人自身の証言によって再審が始まる。そして17年後の2016年、ようやく無罪判決が下された。裁判所は国に15億㌆の賠償を命じ、そのうち約3億㌆は当時の検事に求償された。一方で、事件に関わった警察官たちは昇進した。検事は弁護士として活動している。韓国ではよく知られており、2023年に『罪深き少年たち』というタイトルで映画化もされた。
私は「四番目の人」というタイトルをこう解釈した。冤罪の少年、自白した中年女性、そして父の罪に苦しむ娘。この三人はいずれも「魂」を失わなかった人々である。客席にいる私たちは果たして彼らの側に立ち、「四番目の人」になれるのだろうか。娘ウンジのように傍観者にならずに父と戦える人になれるのだろうか。ウンジはまっすぐな視線で客席を見つめる。その視線に答えることができるのだろうか。
『四番目の人』は、冤罪事件を描いた作品であると同時に、権力を見つめる私たち自身の姿勢を問い直す作品でもある。『四番目の人』は7月、韓国でも上演される。いま、韓日で同作品が上演される意味は非常に大きい。
*韓国公演は7月11、12日=春川、15~18日=ソウル、21日=釜山、詳細は名取事務所☎03-3428-8355、https://www.nato.jp/