■第1回南北首脳会談から20年
「大誤報」放置の朝日、日経、産経3紙に問う
20年前の2000年6月、歴史的な初の南北首脳会談のために金大中大統領(当時)が平壌入りした模様は、韓国のテレビを通じて全世界に生中継された。日本でこの生中継を見た限りでは、平壌郊外の順安空港でも、市内に向かう途中の沿道でも「金正日」「万歳(マンセー)」の歓声・連呼しか聞こえなかった。
▼「金大中万歳」は事実だったのか
日本主要紙の中で「読売」、「毎日」、「東京」(中日)の3紙は「金正日、万歳」しかなかったことを伝えた。しかし、「朝日」、「日本経済」、「産経」の3紙は「金正日、万歳」とともに「金大中、万歳」の大合唱があったと報じた(00年6月13日付け夕刊)。
「『マンセー(万歳)、金大中』『マンセー、金正日』。花束のような飾りを振りながら絶叫する北朝鮮の市民の歓迎」(朝日)/「『万歳』『金正日』『金大中』といった叫び声が空港を満たした」(日経)/「市民たちは飛びはね、手をたたき、赤やピンクの花束を振りながら『金正日万歳、金大中』の大合唱を繰り返した」(産経)
この3紙は、「『金大中万歳』は、まちがいなくあった」として、「訂正」することなく「縮刷版」やマイクロフィルムでも、そのままにしている。
同年の6月15日付け「産経」のコラム「産経抄」は、13日付同紙夕刊記事とは異なり、「その声は『金正日、金正日』、『万歳、万歳』ばかりで、『金大中』は聞かれなかった」と強調している。だが、「産経」13日付け夕刊記事の執筆者(駐ソウル特派員)は「ソウルのプレスセンターで『金正日万歳、金大中』との声をはっきり聞いた。まわりの記者たちも聞こえたといっていた。『産経抄』のことは知らない。訂正などとんでもない」と、当時民団新聞編集委員であった筆者の取材に返答した。プレスセンターで「産経新聞記者のとなり」にいたとされる「しんぶん赤旗」(日本共産党機関紙)記者に会う機会があり質問したところ、「自分は確認できなかった」と語っていた。
本当に「金大中万歳」もあったのか。当時、筆者は在京主要紙の外報・国際部担当者らに聞いた。「非常に重要なことなのでソウルのプレスセンターに詰めていた記者や特派員に、念を押して確認した」と担当者は口をそろえて自社の報道には間違いがないと強調していた。「朝日」外報部の担当者は「韓国の新聞はすべて『金正日万歳』とだけ報道している。だが、『金大中万歳』の歓声もあったことは何度もソウル(「朝日」特派員)に確認したので間違いない。それでもなお確認したいのならば直接ソウルに電話してみたらどうか」と自信満々だった。
「日経」は同年6月28日付け夕刊「韓国特集」(韓国、歴史の転換点に)でも「金大中万歳」はあったこととして「冒頭」に「『金大中、金正日マンセー(万歳)』。」と引用していた。筆者の質問に同特集執筆の国際部記者は「『金大中、金正日万歳』と書いたのは『南北首脳会談歓迎』雰囲気を伝えるための(自分の)創作で、実際に『金大中万歳』の歓声があったということではない」と返答した。ところが、その後に電話口にでた同部デスクは「『金大中万歳』の歓声はあった。ただし、それは空港ではなく、途中の沿道であった」と力説した。それでも「縮刷版」では訂正されていない。
一方、「読売」、「毎日」、「東京」の担当者らは、「ソウルのプレスセンターに詰めていた記者や特派員との確認はいうまでもない。平壌からのテレビ生中継を韓国語のわかる何人もの記者が張り付いて見ており、録画ビデオを戻しての確認もした。生中継による限りは『金大中万歳』はなかった」「平壌での『金大中万歳』が事実なら画期的なことで、韓国のメディアが見逃すはずがない。本当に大合唱があったならば、テレビ生中継からでも聞きとれたはずだ」と強調。「金大中万歳」報道は「誤報」だと明言した。
ちなみに、韓国の主要6紙「朝鮮日報」「東亜日報」「中央日報」「韓国日報」「京郷新聞」「大韓毎日」(6月14日)中、「東亜日報」だけが「金大中万歳」の歓声もあったとしている。「東亜日報」は「『金大中』『金正日』平壌の空にこだま」との大きな見出しを立て、「空港の歓迎客らの間からは『金大中』『金正日』の叫びが交互に沸き上がった」と報道した。
北韓のような個人独裁・完全統制国家で「金大中万歳」の大歓声が、それも「金正日万歳」と「同時」にあったとすれば、それは最高指導者(金正日)の事前の指示もしくは許可を得て十分に準備され、対外的宣伝効果を考え演出されたものにほかならない(沿道に動員された市民は60万にものぼると報道)。
金大中大統領の平壌入りは、韓国のテレビ生中継を通じて韓国、日本はもとより世界中に報じられることになっていたのだから。そして北韓の官製メディアも、韓国および対外向けに「大歓迎」と「南北融和・和解ムード」を強く印象づけるために、「金正日」とあわせて「金大中万歳」の歓呼を大々的に報道、宣伝したはずだ。
だが、当時の北韓の報道はどうだったか。日本のラヂオプレスによると、金大中大統領の順安空港到着や沿道での平壌市民の歓迎模様を同日夜に放送したが、「金正日万歳」の歓呼だけで、「金大中万歳」はまったくなかった。朝鮮中央放送(体内向け)だけでなく平壌放送(体外向け)も、「(金国防委員長が空港に現れた)その瞬間、『万歳』の歓声が上がり、敬愛する金正日同志を身近に見るに至った大衆の大きな感激と喜びによって、広い空港は激情の波を打っていた」と報道した。
「万歳=金正日万歳」にほかならなかったのである。
当時、日本でテレビ生中継を見ていて、金大中大統領の平壌訪問に際して動員された群衆が、金正日国防委員長の名前だけ叫んで「万歳」と大歓声をあげているのに強い違和感を覚えた在日同胞も少なくなかったはずだ。分断後初の南北首脳会談のための「金大中大統領大歓迎」の意での「万歳」もしくは「金正日、金大中、万歳」ならまだしも、なぜ「金正日万歳」一色なのか。金正日は、対話の相手として招待して自分のとなりにいる韓国大統領の存在をまったく無視するよう指示、演出させたものではないか。韓国内外の同胞はもとより世界各国のメディアの関心・注目が集まっている状況で、どうしてそのような非常識で非礼極まることをさせたのか――。
在日同胞向けの朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」(6月16日付け日本語面「現地レポート」)は、「いたる所で『万歳!』の歓声が沸き上がった」とし、「万歳」が「金正日万歳」であったことを隠した。実際に「金大中万歳」の連呼、歓声もあったならば、「金正日、金大中、万歳!」と明記し、大書特筆してもおかしくなかった。それこそ「南北融和・和解ムード」を強く印象づけ、多くの在日同胞の共感を得られるからだ。だが、そうではなかった。「万歳=金正日万歳」を在日同胞や日本人読者に広く知らせることのマイナス効果を考え、「朝鮮新報」は情報操作をしたのだ。
▼金大中氏明言「群衆たちは『金正日』だけ連呼」
なお、金大中政権下、「太陽政策の設計者」として大統領特使となり、南北首脳会談の実現に尽力した林東源・元統一部長官は、2008年6月にソウルで刊行した『
林東源回顧録 ピースメーカー』(日本語版『南北首脳会談への道 林東源回顧録』・岩波書店、08年)の中で「20分間の空港の歓迎行事を終え、両首脳は一台の乗用車に乗って平壌市内に向かった。50万という群衆が沿道に出て花の房を振り、『万歳』を叫んで熱狂的に歓迎した」と記している。「万歳」が「金正日万歳」だったことには、なぜか言及していない。
ちなみに、南北首脳会談終了直後の2000年夏に韓国で出版された崔源起・鄭昌鉉『南北首脳会談600日』(日本語版『朝鮮半島のいちばん長い日 南北首脳会談の真実』・東洋経済新報社、02年)は「通りには60万人ほどの平壌市民が韓服・洋服姿で出てきており、三三七拍子のリズムに合わせ『金正日、万歳』と叫んでいた」と伝えている。著者の2人は中央日報の統一問題担当記者である。
金大中前大統領は、「6・15南北首脳会談」3周年に際し2003年6月に韓国KBSテレビのインタビューを受け、「私を招いておきながら群衆たちが『金正日』だけを連呼するので多少笑いを禁じ得なかった」と語っている。「金大中万歳」はまったくの「誤報」だった。
▼「訂正不必要」ならばその理由明示を
歴史的な「南北首脳会談」での「金大中万歳」は事実であるとし、「縮刷版」などでもそのままにした「朝日」、「日経」、「産経」の3紙は、「大誤報」について、その後に訂正しているのだろうか。きちんと訂正しているならば、それは、いつ、どのような形で行われたのか。「訂正」されていないならば、それはなぜなのか。
「縮刷版」は、日本全国の主な図書館に備置されており、研究者はもとより、学生や一般市民にも広く利用されているという。読者に対する責任として、また正しい記録を残すためにも、第1回南北首脳会談20周年のこの機会に「金大中万歳」誤報問題をきちんと再検証し、その結果を明らかにすべきである。
「2000年6月13日」順安空港・平壌沿道での歓声・連呼は「万歳、金正日、金大中、万歳」でも「万歳」でもなく、「金正日万歳」だった。誤報はきちんと訂正され、記録は正確に残されなければならない。
朴容正(元民団新聞編集委員)