

2026年企画展「ハンセン病療養所のなかの『外国人』」が、東京・東村山市の国立ハンセン病資料館で開かれている。海外ルーツの人びとの中でも多かった在日朝鮮人(同展では「朝鮮籍」「韓国籍」を問わず「朝鮮人」の語を使用)について、「たたかう・はたらく・くらす・うたう、おどる・よむ、かく」の分野別に素顔を伝えている。
日本の植民地支配下、ハンセン病療養所には朝鮮人入所者が多数生活していた。13園ある国立のハンセン病療養所のうち、10園に在日入所者が存在し、入所者全体の約1割を占める園もあった。外国人入所者の大部分が在日入所者で、その多くは渡日後の劣悪な生活環境などが原因で発病したとされる。在日入所者は10園すべてで親睦会を結成し、在日のルーツを守り差別に抗した。1962年には716人の在日入所者がいた。
1959年に国民年金法が公布されると、日本国籍の入所者は国民年金を受け取ることができたが、外国籍であった在日入所者は対象外とされる差別が生じた。同年12月、「在日朝鮮人・韓国人ハンセン氏病患者同盟」を結成し、年金の受給を求める運動を展開し、厚生省、大蔵省、国会議員をはじめ、在日本大韓民国民団中央本部、在日本朝鮮人総連合会などへの陳情を繰り返した。
「『帰国すべきだ。すべて片づく』、『ゼイタクはいわせない』などの聞くに耐えない言葉を療友の一部や関係者当局の一部からきく」(1964年、韓石峯)
民族差別の罵声が在日入所者にも浴びせられる中、年金を求める運動は続けられた。闘争の結果、1972年、年金に代わる措置として、療養所内で使うことのできる「自用費」が支給されることで決着した。その闘争の経過が貴重な写真と資料で展示されている。
一方、在日入所者の中には、日本人がやりたがらない重い肉体労働を任される例もあった。また日本人に認められたい思いで、自ら重い仕事を引き受ける人もいた。入所者が使用した土木道具が当時のようすを伝える。
また、衣食住でさまざまな工夫をこらした。同胞同士で焼肉を囲み、キムチを漬け込み、部屋に民族様式の家具をそろえる人もいた。在日入所者は、療養所という隔離空間の中でも、民族的アイデンティティーを大切にした。
多摩全生園では1990年に「アリランの会」が発足し、民族衣装姿で踊り、歌った。同会は2005年まで続いた。また入所者の識字率は低く、在日入所者の中には日本語もハングルも読めない人がいた。さらに視覚や触覚を奪われた入所者もいたが、その中でも識字学級を開いてハングルを勉強し、舌で点字を読む「舌読」などで言葉を取り戻し、短歌や詩を創作するなどした。
「指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし」(93年、金夏日)
木村哲也・同館学芸員は「在日入所者無くして外国人療養者の話は語れない。在日入所者と相談して、資料や持ち物など多く提供してもらった。同展がハンセン病問題への理解を深めるとともに、見過ごされてきた歴史に目を向け、多様性と共生のあり方を考える契機となることを期待したい」と話す。入館料無料。11月29日まで。
*関連イベントとして在日劇団タルオルムによる『島のおっちゃん』が9月19日午前11時と午後2時30分の2回上演される。会場は多磨全生園・公会堂。電話042・396・2909。https://www.nhdm.jp/