掲載日 : [2018-07-25] 照会数 : 7133
時のかがみ…わたしの留学時代仲村 修 (韓国児童文学翻訳家・研究者)
児童文学の変革期に作家・詩人らと出会い
1990年はわたしの人生にとって大きな転機の年だった。16年間勤めた中学校教師の職を辞し韓国留学に飛びだしたからだ。
教員時代は毎夏10日ほどの韓国一人旅をしていた。その道中で児童文学作家の朴洪根先生と巡りあった。朴洪根先生をとおして児童文学の世界に深い興味がわいた。悩んだすえ後半生を韓国児童文学の翻訳と研究にかけたいと思った。(ちょっとカッコよく書きすぎた!)
留学した3年間は韓国児童文学の変革期だった。既成の文学団体と改革的文学団体との大きな葛藤のさなかにあった。子ども読書運動が全国に急速に広がっていった。また韓国らしい創作絵本がうまれていた。こうした大きな潮目の変化を目のあたりにできたことは貴重な体験だった。また、初めての訳業の記念にと朴洪根先生の『ヘラン江のながれる街』を翻訳させていただいた。
この年の7月、下宿でMBCテレビをみていたら「モンシル姉さん」(この作品はのちに100万部という超ロングセラーになった)のドラマの予告をやっていた。原作は「権正生」という児童文学作家だという。当時著名だった児童文学作家さえ知らないこの翻訳・研究志望者は、9月になってさっそく慶尚北道安東に権正生先生を訪ねた。なんと先生は日本生れで病身、独り暮らしだった。わたしは先生の『わら屋根のある村』が気に入って翻訳させていただいた。
大学院では修士論文が必須だった。わたしは永遠の童謡「故郷の春」を15歳で書いた李元寿の作家論を書くと決めていたので、なにを書くかよりどう書くかで苦心した。なにしろ研究論文など書いたこともなかった。
童謡創作の同人会「キプム社」時代、馬山商業学校時代、金融組合職員時代、有名な童謡「お兄さん(オッパセンガク)」の童謡詩人崔順愛との婚約、その直後の通称「慶尚南道文学青年同盟事件」による10カ月間の獄苦、解放後童話作家としての一本立ち時代、6・25での息子の行方不明、調べれば調べるほど興味がわき、作品を深く理解するために時代と作家の個人史もしっかりとらえなければという思いを深くした。
名前だけ知っていた作家・詩人との出会いも留学中ならでは嬉しさだった。大御所の尹石重先生をセクトン会事務局に訪ねたこと、「青い心白い心」の魚孝善先生を出版社に訪ねたこと、「果樹園の道」「麦畑」の朴和穆先生にビールをご馳走になったことなど。
あれから30年、朴洪根恩師も亡くなり、留学時代にお世話になった人びととの付合いも年々薄れている。韓国にはいまなお春秋2週間ずつでかけて国立中央図書館で楽しく調べ物をさせてもらっている。
しかしながら、自分の仕事が日本にすむ青少年たちの手から、いまだに遠いところにあるのではないかと、いつも感じている。
なかむら おさむ
1949年岡山県生まれ。韓国児童文学翻訳家・研究者。大阪外国語大学朝鮮語学科専攻科卒業。1990年に韓国仁荷大学大学院国文学科に留学。オリニほんやく会主宰(大阪)。ブログ「オリニの森」。若者に説話文学の楽しさや近代の歴史を文学で伝えることを目指す。近代では東学農民戦争・柳寛順・独立軍運動をへて解放、6・25までの翻訳がある。
(2018.07.25 民団新聞)