掲載日 : [2019-04-03] 照会数 : 7265
時のかがみ「北斎ブルーの啄木」津川泉(脚本家)
[ 『一握の砂』(左)と『悲しき玩具』 ]
未収録の作品が語るものは?
「え? これが啄木の歌集の韓日対訳本?」
それが第一印象だった。
というのも、『一握の砂』の表紙が冨嶽三十六景「相州七里浜」、『悲しき玩具』が同じく「東都浅草本願寺」。いずれも鮮やかな「北斎ブルー」で彩られた木版画だったからである。
最近亡くなったドナルド・キーンをして「最初の現代日本人」といわしめた石川啄木の歌集がどうしてこの装丁になったのか?版元「必要な本」の柳政勳さんからの返事は次のようなものだった。
「啄木の短歌が普通の人々の生活感を見つめて歌ううちに日常の一部になったように、北斎の木版画も江戸時代の日本の人々の日常を飾った絵でした」
そんな理由から「本を作る前から北斎の絵を表紙にしようと決め」ていたとか。
啄木は韓国で70年代と90年代に翻訳されているが、21世紀にふさわしい訳が必要と考え「韓国で日本語詩歌文学研究の最前線にいる厳仁卿先生」に委嘱したのだそうだ。
彼女は美しい日本語を話す高麗大学グローバル日本研究院副教授。「日本の短歌を翻訳できる研究者は私くらい」と自負している。
中身を見てみよう。啄木独自の3行分かち書きの歌が1ページに2首。初版のレイアウトを踏襲している。ざっと一読した私がちょっと知ったかぶりをして彼女にこんな質問をした。
「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつゝ秋風を聴く」(1910年9月9日)
これは同年8月22日の韓国併合批判の歌ですが、なぜか翻訳本には未収録です。その理由を教えてください。
彼女からの返事は雑誌『創作』(1910年10月号)に発表された短歌で、『一握の砂』と『悲しき玩具』にもともと掲載されていなかった歌なので、収録されていませんとのこと。
調べてみると「九月の夜の不平」と題する34首のうちの1首で、若山牧水の主宰する詩歌総合誌『創作』に確かに載っていた。その隣の歌はなんと「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤の如く死にて見せなむ」。伊藤とは09年に安重根に射殺された伊藤博文。これは『一握の砂』に載っているではないか。ということは啄木あるいは編集者が刊行前に歌を取捨選択したことが推測される。大逆事件(1910年)直後の明治の国家権力の検閲をおもんぱかったのだろうか?
若山牧水は「石川啄木の臨終」という随筆で啄木の終焉をこう綴っている。
啄木の容態が急変した時、啄木の6歳の長女が居ないのに気づき、探しに戸外に出た牧水が、「門口で桜の落花を拾って遊んでいた彼女を抱いて引返した時には」啄木は父と妻に抱かれて絶命していたという。
明治45(1912)年4月13日午前9時半と記録されている。
今年の啄木忌の頃、桜前線は列島のどのあたりまで来ているのだろうか?
あ・あ・あ・とレコードとまる啄木忌 高柳重信
(2019.04.03 民団新聞)