第101周年関東大震災韓国人殉難者追念式が1日、駐日韓国文化院で執り行われた。東京都内の団員をはじめ関東一円の地方本部から民団幹部ら300人が参席し、犠牲者の霊を慰めた。神奈川や埼玉、千葉でも追念式が開催されたほか、市民団体主催の集会が開かれた。
「両国調査が必要だ」 福田元首相
民団東京本部(李壽源団長)が主催し、駐日韓国大使館、在外同胞庁が後援した東京の追念式は、高隆博副団長の震災直後から今日に至る経過報告で始まった。李団長は追念辞で「日本は本日を防災の日と指定したが、自然災害だけでなく、人為的な災害にも備えなければならないということを忘れてはならない。歴史の痛みを記憶することは未来に向けた責任であり、新しい韓日関係を形成する第一歩だ」と訴えた。
朴喆煕駐日大使は「昨年の関東大震災100周年を契機に忘れられつつあった大震災関連の歴史的事実が韓日両国で再注目されるようになった。ありのままの過去を記憶し、犠牲者を追悼しつつ傷を癒していけるよう共に努力すべきだ」と強調した。
在日2世の作曲家、演奏家の梁邦彦さんがセレナーデなど2曲のピアノ演奏で犠牲者に哀悼の意を捧げた後、福田康夫元首相をはじめ公明党の山口那津男代表、河西宏一衆議院議員、日韓議員連盟の長島昭久衆議院議員、立憲民主党の青柳陽一郎衆議院議員、塩村あやか参議院議員、日本共産党の小池晃書記局長らが献花した。
続いて日韓親善協会中央会の石井和美理事長、東京日韓親善協会連合会の保坂三蔵会長らが献花の列に並んだ。また、震災直後に同胞を虐殺から救った神奈川・鶴見署の大川常吉署長の孫にあたる大川豊さん、大川署長の存在をエッセイ『ポッカリ月が出ましたら』で世に広めた作家の朴慶南さんや東京大学の外村大教授も献花した。
震災が起きた午前11時58分に参列者一同が黙とうし、式典を終えた。
民団主催の追悼式に初めて出席した福田元首相は、関東大震災犠牲者に対する韓日両国調査に関して「歴史的な事実なので、そのような調査は必要だ。各種調査を進展させなければならない」と答えた、と韓国紙中央日報が報じた。
過去の過ちを繰り返さない
【埼玉】関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式が1日、本庄市、上里町、熊谷市で開かれた。本庄市慰霊祭は同市長峰墓地で100人以上の市民、同胞の参席で行われた。吉田信解市長は「天災を引き金とした人災は絶対避けなければならない。過去の悲惨な事件の過ちを教訓にして安全安心な地域社会を築くことを誓う」と述べた。
上里町主催の慰霊追悼式は町内の安盛寺で執り行われた。山下博一町長は「東京から群馬県に移送された所で群衆に取り囲まれた42人が虐殺された。あのような惨事を二度と繰り返さないように教訓にして決して忘れてらならない」と追悼辞を読み上げた。
熊谷市主催の慰霊祭が在日同胞と来賓、市民関係者150余人が参列して開かれた。コロナ感染以降5年ぶりに一般参列者を受け入れた。小林哲也市長は「あのような悲しい歴史を後世に正しく語り継ぎ、再び過ちを犯さぬことをお誓い申し上げる」と約束した。
民団埼玉県本部の崔洛文団長は3自治体の慰霊追悼式で「国を奪われ悲しみの異国生活の中でその日、その日を生きていたわが同胞があのような悲惨な死に処せられたことを思い起こせば、いかに平和で自由や人権と権利が守られる国が大事なのか感じざるを得ない。歴史に学ばない者は再び過ちを繰り返す。再びいつか来た道をたどり始めるようになると言う。私たちは被害者、加害者の両面から考え、今一度侵略と戦争と平和を問い直してみる必要がある」と話した。
映画「福田村事件」を上映
【千葉】千葉の第101周年関東大震災被殺同胞追念式が1日、民団千葉県本部で開かれ、県下同胞らが犠牲者の冥福を祈った。
高炳佑団長の献花と追悼文朗読の後、参列者が献花した。関東大震災から5日後に千葉県福田村で実際に起きた行商団9人の虐殺事件をテーマにした映画「福田村事件」が上映された。
今年も被害者法要
【神奈川】関東大震災犠牲犠牲同胞慰霊祭が1日、寶生寺(横浜市南区)で執り行われ、民団神奈川本部の李富鉄団長ら民団幹部と駐横浜韓国総領事館の金玉彩総領事らが参席した。
寶生寺では虐殺された朝鮮人の供養のため大震災の翌年1924年から毎年9月1日の震災発生時刻午前11時58分に法要が営まれ、現在も続いている。
この法要は当時、在日朝鮮人の同胞救済団体、愛隣園を主催していた李誠七氏が慰霊のため、白木の位牌を寺にもってきて供養を頼んだのがきっかけ。
虐殺事件後一年、いくつもの寺を訪れて慰霊を依頼したが断られ、当時の住職である佐伯妙智師(現住職の曾祖父)がそれを引き受け今日に至った経緯がある。
李氏が亡くなるまでは寺と愛隣園によって法要が営まれていたが、その後は寺と民団神奈川本部が中心となって横浜で虐殺された同胞らへの慰霊事業を続けている。