1945年8月15日、第2次世界大戦が終結して韓半島は解放された。だが、日本軍の武装解除のための米ソの進駐は、「東西冷戦」下に38度線を境界とする国土の分断をもたらす。統一政府樹立のための南北統一総選挙の実施は難航し、1948年8月15日、国際連合総会決議に基づく選挙の結果、大韓民国政府が成立した。
1950年6月25日、韓半島は北の南侵によって戦火に飲み込まれた。300万人の死者を生んだ悲惨な戦争であった。しかしながら、韓国国民の新国家建設への努力は廃墟の中でもたゆむことはなかった。
世界の最貧国だった韓国は、1980年には国内総生産(名目GDP)が653・7億ドルとなり、143カ国中の28位に達し、「漢江の奇跡」と呼ばれた。さらに1988年には1995・9億ドルで、146カ国中の18位に進出した。2020年現在の国内総生産は1兆6308・7億ドルで、世界第10位に位置している。
この間、日本の経済発展を底辺で支えながら、在日同胞の心は母国と共にあった。祖国解放に200万を数えた在日同胞は、その多くが韓国に帰国した。だが、母国に生活基盤を持たない60万人は日本に残留し、「民団」のルーツとなった。
「民団」は、1946年10月3日、東京の日比谷公会堂で結成された「在日本朝鮮居留民団」に始まる。今年が75周年となる。これは、前年に発足した「在日本朝鮮人連盟」の極左的活動方針を批判し、在日朝鮮建国促進同盟(建青)と新朝鮮建設同盟(建同)が合同して新たに結成されたもの。1948年に韓国政府の公認を受け、同年に「在日本大韓民国居留民団」と改称し、1994年、「在日本大韓民国民団」となって現在に至る。
在日同胞の親睦と権益擁護を目的とし、また、日本の地域発展に貢献しつつ韓日の友好増進を目指す。韓国にルーツを持つすべての人が会員資格を持っている。75年の歩みの一端を写真でたどる。
◆韓国の五輪初出場を全力で支援
1948年夏のロンドン五輪に、独立後の新生大韓民国の選手たちが国家代表として初出場する。
韓国の国家代表選手たちの渡航費用とユニフォーム、競技用具のほぼすべてを、当時の在日本朝鮮人体育協会(現・在日本大韓体育会)が支援した。写真は横浜港出港前の韓国代表選手たち。
◆祖国防衛に散った在日学徒たち
1950年6月25日、北・人民軍の南侵で勃発した韓国戦争に、在日韓国学生・青年642人が立ち上がり、学徒義勇軍として仁川上陸作戦、長津湖戦闘などに参戦した。激しい戦闘で135人が戦死・行方不明となった。東京都港区の民団中央本部会館前には在日学徒の英霊を偲ぶ記念碑と忠魂碑があり、今も献花が絶えない。
◆ベトナム派兵に慰問袋を贈呈
民団の傘下団体、在日大韓婦人会ではベトナム戦争派遣韓国兵にタオルや下着、本などを入れた慰問袋を贈呈した。
◆6・25戦争孤児を慰問
1952年、民団の婦人会オモニたちが6・25戦争孤児施設を訪れ生活用品などを寄贈した。
◆韓国公館の寄贈・建設運動
日本各地で10カ所の韓国大使館と総領事館のうち、9つは在日韓国人の募金・寄贈により建てられた。民団の公館建設募金運動は、1962年、大阪の同胞、徐甲虎氏が東京都港区の私邸を「駐日韓国大使館」として寄贈したことから始まった。
1971年までに大阪、横浜、名古屋、神戸、福岡、札幌、仙台、下関(のちに広島に移転)などの公館を寄贈した。
◆九老公団に資金投入
「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国発展の原動力は、在日1世の貢献によるところが大きい。九老公団に積極参与し、日本で培った技術と血と汗と涙で得た結晶である資金を投入した。
◆60万のセマウムで祖国を緑化
民団は本国のセマウル運動に呼応し全国の地方本部や支部が本国のセマウル部落と姉妹血縁を結んだ。傘下団体である在日2世の青年会では在日同胞60万人のセマウムシムキ(新しい心を植える)運動を提唱、1973年から緑化運動に着手した。
◆済州道みかんの先駆者
済州道の発展は在日同胞の貢献なくしては語れない。特に、1960年代から道出身者らがみかんの苗木を送り続けたことが、今日のみかん王国の基礎になった。写真は日本のみかんの名産地の一つ、静岡から済州港に到着したみかんの苗木と日本から派遣したみかんの技術者たち。日本の在日済州開発協会から送られたみかんの苗木は、1969年だけでも第1次寄贈分が12万4千本、第2次分が10万7千本に達した。
◆新韓銀行、在日同胞の資本と技術で
韓国を代表する新韓銀行は1982年7月、在日一世の資本と技術でスタートした。成功の秘訣は、顧客の目線に合わせた近代的な運営方式だった。「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長は、在日1世の貢献によるところが大きい。製造部門の心臓部として機能した九老工業団地の造成にも、血と汗の結晶である在日同胞の資金が投入され、韓国の実体経済発展の先駆となった。
◆IMF危機に900億円の外貨送金
1997年、韓国は経済構造上のひずみに加え、アジア通貨危機のあおりを受けてウォンが急落し、外貨危機に見舞われた。このためIMF(国際通貨基金)に支援を要請し、その管理下で厳しい構造調整に入る。民団では同胞一世帯につき10万円の韓国金融機関への外貨送金運動を呼びかけた。当初100億円の目標は900億円に達し、危機克服に貢献した。
◆「スポーツ韓国」を先導
韓国選手団を支援する在日韓国人の動きは1948年のロンドン五輪が最初だが、後援会として組織的に活動し始めたのは1964年の東京五輪からだ。在日本大韓体育会は韓国代表として多くの在日同胞選手を育てた。東京五輪で在日2世の金義泰(左)が韓国柔道初のメダルとなる銅メダルを獲得。1972年ミュンヘン五輪では呉勝立(中央)が銀、76年モントリオールで朴英哲(右)が銅。そして、今年の東京五輪では安昌林が在日選手45年ぶりとなる銅を獲得した。このほか、各競技で優秀選手を発掘してきた。
◆全同胞が参与した母国での五輪
1988年、韓国で初のオリンピックが開かれた。ソウル五輪の成功を期して、民団は募金活動に総力を結集した。
日本全国の在日同胞からは予想を超える100億円の寄付金が寄せられ、韓国五輪大会組織委員会に伝達された。五輪終了後の10月2日、ソウル松坡区の五輪記念館の横に、在日同胞の支援活動をたたえる記念碑が建立された。
また、2018年の平昌冬季五輪にも在日同胞社会で集めた募金2億円を平昌冬季五輪・パラリンピック組織委員会に伝達した。
1948年 ロンドン五輪韓国選手団後援金 649,500
1950~59 6.25戦争義援金 2,030,000
6.25戦争義援金 ₩4,532,712
故郷発展後援金 ₩9,350,000
1960~69 故郷発展後援金 ₩539,127,000
故郷発展後援金 30,914,400
1963 本国食糧難救援金 ₩41,440,000
1965 水害義援金 ₩6,340,595
本国家族扶養金送金運動 ₩716,338,000
1967 本国家族扶養金送金運動 ₩2,160,000,000
大韓体育会に電話交換機寄贈 ₩2,600,000
橋梁建設費寄付(全南順天市黄田面)※姜桂重氏 ₩4,000,000
1966~68 セマウル指導者、日本農業研修費 ₩8,200,000
1968 防衛募金 ₩26,375,696
1969 電気通電設備寄付(全南順天市800家屋)※姜桂重氏 ₩3,500,000
順天市月前中学校・新築校舎建設地寄贈※姜桂重氏 ₩4,200,000
1970 水害義援金 ₩5,470,142
図書館建設寄付(順天南小学校)※姜桂重氏 ₩1,000,000
農薬散布用ヘリコプター全南に寄贈 ₩48,500,000
航空警備用ヘリコプター全南警察に寄贈 ₩33,645,200※姜桂重氏
1972 セマウル誠金 ₩2,000,000
電話回線設備建設寄付※姜桂重氏 ₩1,000,000
水害義援金(民団大阪本部) ₩7,000,000
セマウル部落にラジオ458台寄贈 ₩2,000,000
水害義援金(婦人会) 1,202,000
1973 セマウル部落にラジオ400台寄贈 ₩2,000,000
セマウル指導者用ユニホーム寄贈 ₩2,550,000
北韓拉致漁船家族支援義援金 221,000
1974 防衛基金寄付 ₩1,000,000
水害義援金 ₩31,542,173
海上警備艇1隻を完島警察署に寄贈 ₩32,170,000
救護義援金(在日全南道民会) 10,673,129
1970~78 奨学会設立基金※姜桂重氏 ₩16000000
1973~81 セマウムシムキ植樹基金(山林緑化苗木費) ₩36,247,600
1973~82 セマウル部落姉妹結縁基金 ₩516,930,000
1972~83 防衛基金 ₩571,308,663
1975~78 晋州の文化財誠金※姜桂重氏 ₩600,000,000
1976 セマウル部落に電気通電(全南順天市)※姜桂重氏 ₩9,100,000
華厳寺(全南求礼郡)に釣り鐘寄贈 ₩1,800,000
望郷の丘建設基金 ₩50,000,000
1977 水害義援金 ₩114,643,218
セマウル指導者用ユニホーム500着寄贈 ₩4,500,000
セマウル部落発展基金 ₩3,000,000
全南国体後援金 ₩3,000,000
1978 裡里駅爆発惨事義援金 ₩124,719,700
全羅南道芸術会館建設基金 ₩5,000,000
順天女子商業高校奨学金 ₩2,000,000
1979 水害義援金 ₩235,000,000
1981 セマウル運動支援金 ₩100,000,000
1981 光州事態犠牲者義援金 ₩100,000,000
1983 独立記念館建設基金 ₩1,033,000,000
1984 水害義援金 ₩150,000,000
独立記念館建設基金(婦人会) ₩17,000,000
1986 離散家族会支援金(婦人会) 300,000
1987 平和のダム建設基金 ₩1,087,846,000
水害義援金(婦人会) ₩10,000,000
1987~88 ソウル五輪後援募金 ₩52,456,654,879
ソウル五輪後援募金(婦人会) ₩122,000,000
観光地にトイレ建設 ₩1,300,000,000
1988 パラリンピック後援基金と車椅子(婦人会) ₩109,446,000
障害者福祉後援金(婦人会) ₩20,900,000
ソウル五輪後援募金(婦人会) ₩314,000,000
1989 東義大学警察惨事義援金 ₩20,000,000
1990 北京アジア大会韓国選手団激励金(婦人会) ₩10,000,000
1989~91 治安本部民生治安見舞金 ₩20,000,000
1993 金チュンド警察官殉職弔慰金 ₩10,000,000
大田EXPO後援募金(商工会) ₩171,000,000
西海フェリー号沈没惨事義援金 ₩10,000,000
国際教育振興院在外学生会館建設基金 ₩1,236,000,000
1995 大邱地下鉄爆発惨事義援金 ₩60,000,000
1996 北韓武装ゲリラ対策基金 ₩10,000,000
水害義援金 ₩130,000,000
1997 北韓飢餓児童救援基金(2回) ₩20,000,000
八万大蔵経デジタル化基金 ₩1,000,000
1998 IMF失業者子弟救援募金 ₩50,000,000
北韓飢餓児童救援基金(婦人会長) ₩20,000,000
1998~99 水害義援金 ₩355,000,000
1999~2000 平和統一福祉基金 ₩500,000,000
2000 京義線復元基金 ₩63,550,000
母校発展基金※崔ヨンソク氏 ₩1,000,000,000
2001 李秀賢さん慰問金 ₩30,000,000
不遇者助け合い基金※鄭ヨンヒョン氏 ₩100,000,000
2002 韓国体育発展基金※梁チョンソク氏 ₩6,050,000,000
隣人助け合い※辛格浩氏(ロッテ会長) ₩100,000,000
赤十字寄付※チョン・ファンフイ氏 ₩30,490,000
水害義援金 ₩10,000,000
老人ホーム見舞金(婦人会) ₩2,000,000
心臓病児童救援基金(在日韓国本国会) ₩11,000,000
江原道水害義援金(民団東京本部) ₩10,000,000
台風被害罹災者救援在日同胞基金 ₩359,500,000
2002FIFAワールドカップ韓日大会後援募金 ₩550,000,000
2003 大邱地下鉄火災惨事遺族見舞金 ₩1070000000
2006 北朝鮮拉致被害者支援金 5,000,000
台風災害義援金 10,622,297
2007 台風災害義援金 3,101,000
2008 崇礼門復元基金 ₩587,104,955
2009~15 日韓交流おまつり基金(政府行事) 79,600,000
2010 天安艦殉国将兵弔慰募金 13,771,233
安重根義士記念館建立募金 ₩15,000,000
2011~12 忘れな草「脱北者支援募金」 ₩41,000,000
2014 セウォル号沈没惨事募金 ₩648,231,537
2018 2018平昌五輪・パラリンピック後援募金 ₩2,000,000,000