掲載日 : [21-11-09] 照会数 : 8187
長崎原爆同胞慰霊碑が除幕…構想27年民団県本部の努力実る
[ 構想27年にして建立した慰霊碑が除幕 ]
[ 慰霊祭で挨拶を述べる建立委員長でもあり、民団長崎本部の姜成春団長 ]
[ 慰霊碑の全容 ]
長崎への原爆投下で犠牲になった韓国人を追悼する慰霊碑が長崎市の平和公園に建立され、6日に除幕式と慰霊祭が執り行われた。原爆同胞犠牲者を慰霊する碑は1970年に広島には建立されたが、長崎には建てられなかった。長崎にも「慰霊碑」をと1994年に民団長崎本部が建立の動きを見せたが、方式や敷地確保問題が重なり、進展がみられなかったが、2011年に韓国原爆被害者協会と駐福岡韓国総領事館が長崎市に平和公園内の建設場所の提供を要請し、建設事業が本格的に進められた。2013年には民団長崎県本部を中心に建設委員会が構成された。建立へ動き出した94年から、実に27年を経てようやく実現した。
慰霊碑前の現場では姜昌一・駐日韓国大使、李煕燮・駐福岡総領事をはじめ、民団中央の呂健二団長と近隣地方本部団長、長崎市議や地元の高校生平和大使らが出席して除幕式があった。式では参加者が碑に献花し、原爆が投下された時刻の午前11時2分に黙祷を捧げた。この後、向かい側にある原爆資料館ホールで慰霊祭が営まれた。
建立委員会委員長でもあり、民団長崎本部の姜成春団長は「日本人の市民団体が建立した『長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑』はあるが、我々在日韓国人同胞の手で念願だった慰霊碑が建立できたことは韓国政府の支援及び在日同胞並びに関係者の皆様のおかげ。この碑が韓日の真の友好発展と同胞の被爆の歴史を次世代に伝えるきっかけになることを願う」と述べた。
呂健二団長は「慰霊碑建立の実現に向けて、長年にわたり尽力した民団長崎県本部の皆様と駐福岡韓国総領事館の皆様、物心両面で支援をいただいた多くの皆様、あわせて、長崎市をはじめとする日本の皆様に心より感謝申し上げます」としながら、「この慰霊碑を通じて、悲惨な戦争の歴史を後世に伝えていくことが私たちの使命であると思う」と期待を込めた。
姜昌一大使も「犠牲になった方々を考えると、あまりにも遅くなって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。しかし、今からでも彼らのための慰霊碑が設けられたことを意味深く思います」とし、「ひとりの歴史家としても、我々が歴史を記憶する理由は、二度と同じ悲劇を繰り返さないためだと信じている。本日の小さな一歩が、韓日の模範的な協力事例として歴史に残り、ひいては世界平和を守るのに寄与する大きな一歩に繋がることを期待しています」と述べた。
この後、李熙燮総領事、向山宗子・長崎市議会公明党代表、平野伸人・平和活動支援センター所長が順に、あいさつを述べた。
建立された慰霊碑前には「太平洋戦争末期には本人の意思に反して労働者や軍人・軍属として徴用・動員される事例が増え、それまでの移住者を含め長崎県在住同胞は約7万人、そのうち長崎市とその周辺地域に約3万5000人を数えた」とし、「1945年8月9日、長崎市上空で爆発した原子爆弾は約7万4000人の尊い命を奪った。数千人から1万人と推定される、わが同胞たちも亡くなった」との説明文を日本語、韓国語、英語の3カ国語で記述した。