掲載日 : [21-05-12] 照会数 : 9751
日本の植民地支配、在日の立場で告発…姜徳相氏の半生記刊行
[ 姜徳相聞き書き刊行委員会がまとめた本の表紙 ]
教え子ら聞き書き
在日韓人歴史資料館の初代館長を歴任した著名な歴史学者、姜徳相氏(89)初のライフヒストリー『時務の研究者 姜徳相~在日として日本の植民地支配を考える』が同聞き書き刊行委員会によってまとまった。
「時務」とは文字通り「今やらなければならない時の務め」。姜氏と親しかった同じ歴史学者の朴慶植氏にとってはそれが「(朝鮮人)強制連行の研究」だった。姜氏は「一緒にやろう」と声をかけられたが、「お手伝いだけになってしまうのでは」とちゅうちょした。
そんな時、国会図書館でアメリカから返還されたばかりの日本の公文書のなかに関東大震災に関する公文備考を発見。姜氏は「これが(自分にとっての)時務だと思った」。いち早く親しい同胞研究者と共同で『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房 1963年)を編纂、「日本人が耳を塞ぎ、目を瞑ってそっとさわらずにおいていたものをさらけ出し、日本の国にはこういうことがあったと提起した」。
関東大震災は3・1運動と並び「被害者としての告発」という立場から姜氏の主要な研究テーマとなった。これを姜氏は「在日史学」と呼称した。 「日本では韓国の近代史、特に植民地支配の歴史研究というものをほとんど日本人はやりません。それをやったのは在日なんです。とにかく日本がゆりかごだということです」。
70年代初頭からの約20年間、非常勤講師として明治など各大学で朝鮮近現代史の講座を担当。在日の視点で「高校までの日本史が教えなかった日本史」を2時間、3時間かけて講義した。姜氏から影響を受け、荒川河川敷で関東大震災時に虐殺された犠牲者の遺骨掘り起こしに乗り出した活動家もいるという。
89年4月に一橋大学社会学部教授に採用された。当時は任期付きだったが、その後も多くの在日韓国・朝鮮人の教員が生まれたことで、任期付きによる任用は形がい化していった。当時を振り返って姜氏は「『力』は差別を乗り越えてきたのです。そう思います」と語っている。一橋を定年で退官すると滋賀県立大学人間文化学部に迎えられた。
31年8月、慶尚南道咸陽郡生まれ。2歳10カ月で母親とともに渡日。父親は一足先に東京で屑の仕切り屋をやって生計をたてていた。成人になるまでに自分を隠すため4回も名前を変えさせられたことから、「差別社会」の日本に対する批判的な感情を育んでいった。
早稲田大学文学部では中国史を専攻していたが、「朝鮮史は日本史のゆがみを正す鏡だ」との格言に影響を受け、朝鮮史に転向。明治大学大学院文学研究科博士課程で学んだ。
刊行委員会は姜氏の呼びかけで11年から16年まで「文化センター・アリラン」で続いた「近現代史韓日勉強会」(姜ゼミ)の受講生たちで構成。闘病中の姜氏に渡日から現在に至るまでの歴史を聞き書きした。
中心メンバーの山本すみ子さんは、あとがきに「姜先生のオーラルヒストリーは私たちに日本社会のありようを問うものであり、生き方を問うものであると思います。深く受け止めていきたいです」と記した。
税別2200円。問い合わせは三一書房(03・6268・9714)。