
1959年8月、日本と北韓の赤十字で「在日朝鮮人の帰還に関する協定」が結ばれた。労働力の大量確保が北側の目的だった。民団は組織を挙げて「北送阻止」の運動を起こし、輸送列車のレールの上に身を投げ出した。「地上の楽園」の喧伝に惑わされ、炭鉱などに動員された9万3000人の帰還同胞の多くは、日本にいる親族にも会えず、過酷な労働と差別に苦しんだ。
1961年、創団15周年を迎えた民団は「韓日会談早期妥結」を要求する大会を開いた。内容が屈辱的だとする青年学生たちの反対運動もあったが、1965年に合意された韓日会談の請求権協定資金5億ドルは、韓国経済発展の起爆剤となった。この年、民団の光復節大会のスローガンは、『日本政府は北送を中止せよ。在日同胞への差別待遇を撤廃せよ』などだった。
民団は韓国政府と連携し、1975年4月から、朝鮮籍のまま臨時旅券で韓国の故郷に行くことができる「墓参団事業」(母国訪問団)を開始した。母国の親族と会えない朝鮮籍同胞は、「もう一つの離散家族」だった。朝総連は空港で参加者を拉致するなど、妨害した。だが、約5万人の朝総連系同胞が韓国の故郷を訪れて肉親と再会し、韓国の発展した様子をその目で確かめた。
在日韓国人2世の金敬得さん(写真中央ー)は、1976年に司法試験に合格したが、日本国籍でないために司法研修所に入れず、弁護士資格の国籍条項撤廃運動に着手。内外の支援を受け、77年に最高裁判所から外国人初の司法修習生に認められ、後に在日韓国人初の弁護士になった。
韓日協定による在日韓国人の永住権申請の期限は1971年1月16日。朝鮮総連は、「永住権申請は強制徴兵につながる」「在日同胞の財産が没収される」などの虚偽宣伝で妨害した。政治目的のために在日同胞の生活を犠牲にしようとするもの。だが、35万922人が申請登録を完了した。写真は「時期を逃して息子、孫を泣かすな」と書いた民団の宣伝カー(右)と朝総連の妨害の立て看板。
1980年代、人権を無視した外国人登録法の指紋押捺の撤廃を求める運動が拡大。民団は100万人署名運動を展開したほか、1985年の第66周年3・1節を日比谷野外音楽堂で「外国人登録指紋押捺・常時携帯制度撤廃要求在日韓国人中央大会」を開催した。2月8日に神戸を出発した青年会の「指紋押捺拒否東海道人権行脚隊」がゴールインした。大会は日本外務省・法務省に対する決議文を採択し、デモ行進した。
在日韓国人の国籍差別や権利は民団による持続的な権益擁護運動によって、多くが開放されたが、最大の目標として残されたのが地方参政権だった。民団は1991年から永住外国人の地方参政権付与を求める運動を開始、日本の地域住民として地域の発展に貢献することを目指した。2001年6月5日と2007年11月7日に日比谷野外音楽堂で5000人の同胞が結集して決起大会を開いた。
1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災では、死者約6500人のうち在日同胞の犠牲者は129人だった。民団では兵庫県内の支部や婦人会、青年会を中心に、被災者のために国籍をこえた炊き出しを行った。2011年3月11日、東日本大震災が発生し、津波は1万8000人余りの命を奪い、沿岸の町は廃墟となった。韓国からは32億ウォンの義援金が寄せられたが、民団もまた被災地で炊き出しや物資配布などの救援活動を積極的に進めた。全国の在日同胞からは、一日も早い復興を祈って4億円の義援金が寄せられた。
2013年になってから東京の新大久保や大阪の鶴橋などで激しいヘイトスピーチデモが続き、同胞社会の生活を脅かせた。民団では、ヘイトスピーチの根絶に向け、国連への陳情などを展開した。その結果、2016年、ヘイトスピーチの対策法(ヘイトスピーチ解消法)案が、5月24日の衆院本会議で可決、成立し、6月3日に施行した。また、2019年12月には川崎市が刑事罰を盛り込んだ条例を成立した。
民団は創団当時から全国の本部・支部で民族教育を実施してきた。2001年から小学生を対象に母国で在日同胞オリニジャンボリーを開催、これまでに3000人以上の子どもが参加した。初期の参加者はすでに成人となり、民団の次世代傘下団体である「在日韓国学生会」や「在日韓国青年会」の一員としてネットワークを広げている。創団65周年の2011年からは中・高・大学生と青年を対象に母国訪問事業を開催している。
1945 10.15 在日朝鮮人連盟(朝連)結成
1945 11.16 朝鮮建国促進青年同盟(建青)結成
1946 1.20 新朝鮮建設同盟(建同)結成
1946 10.3 在日本朝鮮居留民団(民団)結成
1947 2.21 機関紙「民団新聞」創刊
1947 5.2 外国人登録令公布、即日施行
1947 12.6 民団、国連監視下の南北総選挙支持声明
1948 4.24 阪神教育事件、大阪で朝鮮人学校閉鎖反対デモ
1948 8.15 大韓民国樹立
1948 9.8 韓国政府、民団を「唯一の韓国人団体」として正式承認
1948 9.9 朝鮮民主主義人民共和国(北韓)樹立
1948 10.4 第5回定期全体大会、「在日本大韓民国居留民団」に改称
1949 1.4 韓国、駐日代表部設置決定
1949 5.31 在日韓国学生同盟結成
1949 6.15 在日大韓婦人会中央本部結成
1949 9.8 GHQ・日本政府、朝連などに解散命令
1950 6.25 北韓の南侵で韓国戦争勃発(~53年7月、休戦協定締結)
1950 8.5 在日学徒自願軍結成
1950 9.13 在日青年学徒義勇軍第1陣が横浜出港
1950 9.15 仁川上陸作戦決行(在日青年学徒義勇軍参戦)
1951 8.23 民団本国事務所(釜山)開所
1952 4.28 サンフランシスコ講和条約発効(在日同胞の日本国籍剥奪し外国人登録法公布)
1955 5.25 在日本朝鮮人総連合会(総連)結成
1958 10.27 北送決死反対・阻止運動決議
1959 3.3 全国45カ所で北送反対決起大会、街頭デモ、10万人参加
1959 12.11 北送反対決死団450余人、線路に座り込み北送列車停止
1959 12.14 北送船第1陣で238世帯、975人新潟出港
1960 4.19 4・19学生革命/22日に歓迎声明
1960 10.8 大韓青年団全国大会、在日韓国青年同盟に改称
1961 5.16 5・16軍事政変/支持声明発表
1962 2.20 在日韓国人商工連合会結成
1964 4.7 東京五輪・在日韓国人後援会発足
1965 6.22 韓日基本条約正式調印
1965 12.14 駐日代表部が駐日大使館に昇格
1966 1.17 韓日基本条約発効、永住権申請受付開始
1966 7.29 第1回本国夏季学校(学生482人)
1970 4.10 韓国人原爆犠牲者慰霊碑除幕(広島市)
1971 2.15 第16回法的地位委員会、永住権申請数35万人以上を確認
1972 2.18 東京本部・韓青・韓学同などの反民団分子70余人が中央本部に乱入、中央3機関長ら幹部を監禁・暴行
1972 7.4 「7・4南北共同声明」歓迎声明
1972 7.7 第20回中央委員会、韓青と韓学同の傘下団体認定を取消
1973 7.15 セマウル支援事業・姉妹結縁団500人本国派遣
1974 8.15 朴大統領狙撃事件(文世光事件)で陸英修女史が逝去
1975 4.1 祖国緑化セマウム青年奉仕団230人、本国で植樹活動
1975 4.14 神奈川県川崎支部管内の総連同胞省墓団、羽田空港出発(省墓団事業開始)
1976 3.12 民団中央会館新築、移転
1976 10.2 忠南天安「望郷の丘」で第1回合同慰霊祭
1977 2.27 在日韓国青年会中央本部結成大会
1977 10.29 中央組織学院開院
1979 10.26 朴正煕大統領逝去で追悼談話発表
1981 1.9 国民年金適用要望署名簿10万4000人分を厚生省に提出
1981 11.3 在日韓国学生会結成
1982 6.11 ソウル五輪大会在日韓国人後援会結成
1983 8.1 中央執行委員会、指紋押捺・常時携帯制度廃止100万人署名運動決議(9月1日開始)
1983 10.19 北韓のラングーン爆弾テロ糾弾中央大会
1984 3.14 指紋押捺・外登常時携帯制度撤廃要求全国代表者大会
1984 9.6 全斗煥大統領訪日、天皇が「不幸な過去に遺憾」と表明
1985 7.1 全国民団で指紋押捺留保運動
1987 11.16 東京で第1回海外韓民族代表者会議、31カ国300余人参加
1987 11.29 北韓による大韓航空機爆破テロ事件
1990 5.24 盧泰愚大統領、日本公式訪問/25日に韓国国家元首として初めて国会で演説
1993 1.8 改正外登法施行、特別永住者・永住者への指紋押捺廃止
1993 1.30 講座制民族大学「大阪教室」開講
1994 4.20 第44回定期中央大会で「在日本大韓民国民団」に改称
1995 1.17 阪神淡路大震災発生で「救援対策本部」設置
1995 2.28 最高裁、永住外国人への地方参政権付与は違憲でないと明示
1996 5.31 02年FIFAワールドカップ韓日共催決定
1996 10.26 創団50周年記念中央大祝祭、約2万人参加
1997 6.10 地方参政権獲得・同胞和合120日運動開始
1997 12.5 本国金融危機に「外貨送金運動」を提唱
1998 10.7 金大中大統領が国賓訪日/8日の国会演説で在日韓国人の地方参政権早期実現を要望
2001 6.5 地方参政権の早期立法化促す決起大会、4000人結集
2001 8.23 第1回オリニソウルジャンボリー開催
2002 5.31 韓日共催サッカーW杯開幕、在日同胞参観団構成
2003 6.3 脱北者支援民団センター設立
2003 6.6 盧武鉉大統領訪日/国会演説で地方参政権の付与要望
2004 10.8 日本弁護士連合会、外国人人権基本法を提起
2005 10.4 ソウルで初の民団写真展
2005 11.23 在日韓人歴史資料館オープン
2007 7.14 みんだん生活相談センター開所
2007 11.7 地方参政権要求全国決起大会に5000人結集
2008 1.26 第1回MINDAN文化賞授与式
2008 4.20 訪日の李明博大統領、在日同胞レセプションで地方参政権実現に尽力と強調
2010 6.5 北韓による「天安艦撃沈」を糾弾、集会後デモ
2010 11.25 北韓による延坪島無差別砲撃に対しソウルで「緊急糾弾大会」
2011 3.12 東日本大震災被災者支援民団中央対策本部設置
2012 4月 韓国第19代国会議員選挙で在日韓国人が初の在外投票
2012 7月 外登法廃止に伴い特別永住者証明書、在留カードに移行
2012 12月 韓国第18代大統領選挙で在外投票
2013 2.19 第67回定期中央委員会で「在日韓国人法曹フォーラム」を傘下団体に認定
2014 4.16 セウォル号沈没惨事。民団は犠牲者募金6400万円伝達
2015 10.21 韓日国交50周年記念「友好親善の集い」をソウルで開催
2016 5.24 ヘイトスピーチ対策法が成立。6月3日施行
2016 7.27 次世代1500人母国訪問事業、オリニジャンボリーを皮切りにスタート。以降、209月まで中・高・大学生のサマースクールと青年母国訪問が続く
2016 10.26 民団創団70周年式典で「未来創造メッセージ」を発信
2017 9.15 北韓の度重なる核・弾道ミサイル開発糾弾へ民団が東京、名古屋、大阪、広島、福岡で示威行動を決行
2017 9.30 在日韓国青年会中央本部が結成40周年を記念し「在日青年共育フォーラム」
2018 1.24 在日同胞社会で集めた募金2億円を平昌冬季五輪・パラリンピック組織委員会に伝達
2019 11.13 「北送」60年特別シンポジウム開催
2019 12.12 川崎市が初の刑事罰盛り込んだヘイトスピーチ条例成立
2020 3~4月 新型コロナウイルス感染拡大で民団各地方大会・委員会が初の書面決議
2021 7.26 東京五輪で柔道の安昌林が銅。45年ぶりの在日選手メダル獲得