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古代文字交流は韓日の未来を語る
1990年に在阪同胞が中心になって創始し、今に続く「四天王寺ワッソ」は、古代東アジア諸国の交流を描いた歴史絵巻だ写真

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正される韓半島欠落史観
「新事実」発掘相次ぎ

 日本では今でも、自らの古代国家形成に関する記述に「大陸から伝来」、「大陸の影響」といった表現が目につく。「半島も大陸の一部」という認識からではあるまい。韓半島は中国を主とした大陸文明の単なる通路に過ぎず、その文明にさほどの独自性はないとするかつての帝国主義史観、90年代からはびこった修正主義史観ほどではないにせよ、韓国を一段低く見ようとするならい性がゆえに、韓半島からの「伝来」・「影響」を矮小化する意識が働くのだろう。

 こんな例もある。正倉院宝物の中でも逸品として知られ、中国は唐時代の制作とされてきた「木画紫檀碁局」は、宮内庁正倉院事務所の調査で本体に松と見られる木材が使われていることが分かり、木簡や工芸品の部材として松を多用した韓半島でつくられた可能性が出てきた。同事務所の保存科学室長は「出来が良い物は中国製と考えられがちだが、意匠だけに頼った制作地の判断を見直す必要がある」と話している(日本経済新聞13年5月9日付から)。

 「出来が良い物は中国製」という「日本の常識」から、韓半島の文明は視野の片隅に追いやられがちだったことが分かる。しかし、韓日両国では古代史に関連する「新事実」の発掘が相次ぎ、韓半島から日本列島への「伝来」・「影響」の大きさが改めて注目され始めている。

 ここで取り上げる「文字文化」の分野も例外ではない。言語学者の河野六郎・東京教育大名誉教授(12〜98年)は57年に、「日本における漢字使用は朝鮮半島における実験を前提としている」との見解を表明していた。だが、この卓見は物的根拠が充分でなかったために支持されるには至らなかった。

 本書は、「古代日本と古代朝鮮の文字文化交流」と題する「歴博国際シンポジウム」(12年12月・東京)で披露された10年にわたる研究成果の一端をまとめたものだ。シンポには韓日の壁、古代史・考古学・言語学・文学・美術史といったジャンル、また重鎮や気鋭の世代などを超え、12人の第一人者が一堂に会している。

文字資料の情報研究は新局面に

 「はじめに」で日本古代史専攻の平川南・国立歴史民俗博物館館長(今年3月まで)は、「漢字のふるさとは中国」という意識が強かった日本では、中国と日本の間にある古代韓国の文字文化には十分に目を向けてこなかったが、古代日本における5〜7世紀の文字文化の確立期に古代韓国がきわめて重要な影響を与えているとの考えが定着してきたと強調した。

 日本では全国各地で木簡・漆紙文書・墨書土器・銅印など膨大な文字史料が出土しており、調査・研究が韓国よりはるかに先行していた。一方の韓国は、5〜7世紀の石碑資料が豊富とはいえ、木簡は6〜8世紀のものが700点余りが確認されるにとどまっている。

 しかし、「近年の日本では、断片的な文字資料が出土する例はあるものの、まとまった文字数を持つ新たな古代文字資料の発見はまれ」なのに対し、韓半島では「現在でも毎年のように驚くような新資料が見つかっている」(韓国古代史専攻の李鎔賢・国立大邱博物館学芸研究士)。これら文字資料は文献資料とは異なる情報をもたらし、古代日本史と密接に関わる古代韓国史の研究は新たな局面を迎えているという。

 以下、本書の注目点を紹介する(便宜上、一部では韓半島を「半島」、日本列島を「列島」と表記した)。

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「日本」形成へ大きな役割
類似性 木簡が証明…度量衡や職名、「国字」まで

 文字・度量衡 「(実質的な)年号の書かれた日本最古の木簡」(621年)として注目度が高い法隆寺金堂釈迦三尊像の台座墨書銘に、「椋費(くらのあたい)」との記述がある。「椋」は物を収納するクラを意味する文字で、半島で独自に作り出された。「費」はカバネ(姓)のアタイ(よく知られる表記は直)であり、「椋費」はクラでの出納業務を職掌とした渡来系氏族を指す。

 日本で有名な「出挙木簡」の出挙(すいこ)とは、種稲を民衆に貸し付け収穫時に5割の利息とともに返納させる稲の貸付制度であり、8世紀以降の律令制下で定着したものだ。

 百済の都があった扶余の遺跡から、官人に相当する人たちに「食」を貸し付けた記録と思われる「佐官貸食記」(618年)と題する木簡が出土している。「貸食」が「貸稲」と類似するだけでなく、貸付額の5割を利息とする慣行が百済ではすでに7世紀前半の段階で成立していたことも明らかになっている。

 「佐官貸食記」が借りた穀物を返納することを「上(たてまつる)」、未納分を「未」と表現している点、穀物の単位として「半(5升)」・「甲(2升5合)」などを用いていることも「出挙木簡」と共通している。日本独自の要素が強いと言われてきた出挙は、いまや東アジア世界の枠組みの中で捉えるべきものとなった。

 国訓・国字 前出の「椋」はクラという日本独自の国訓(漢字に国語をあてて読む読み方)とされてきた。だが、慶州・雁鴨池から「椋司」と書かれた硯が出て、韓日ともに倉庫のクラを「椋」と表記していたことが分かっている。

 また、国字(日本でつくられた漢字)とされてきた「蚫(あわび)」、「畠」なども韓国出土の木簡に記されていた。国字についても、中国の漢字と日本にある文字との比較だけで考え、韓国の資料を検討材料に含めてこなかった。国字とされる文字は、「大漢和辞典」に載るものだけでも141字あり、そのうちどれくらいが国字と言えるのか、これからの検証課題になっている。

 職名 職業人についての表現にも類似性がある。西河原宮ノ内遺跡(琵琶湖東岸)から出土した木簡の裏面にある「文作人」などがそうだ。578年に当たる年紀を持つ韓国の塢作碑という石碑にすでに職名の「文作人」が登場する。稲荷山鉄剣の「仗刀人」、江田舟山鉄刀の「典曹人」などと同じく、3文字で職を表すことが半島から伝わった。

 道上遺跡(岩手県)から出土した「禁制(きんぜい)木簡」には、「この田んぼに勝手に入るな」といったことなどが書かれている。人通りの多いところに立てる「告知札」とは違い、掲げるだけでその役割を果たす「禁制」の資料は韓国でも存在が確認された。

 文体 漢字で固有語の文を書き表す文体が半島で成立し、列島に伝えられた。例えば、時格の助詞にあてる用法が早くから知られている「中」。「某月中」と書けば、中国語ではその朔日から晦日までの1カ月間を指すが、韓日では前月・某月・翌月という時の流れの中のひと月を意味する。

 現代日本語で「。」にあたる「之」は、中国では強い語勢を示す字として文中の意味的な切れ目に使われるときがあったが、半島で文末を示す字として規範化され、そのまま日本に導入された。「空格(文字を記さない空白。1字文に満たない場合も多い)」を文意の大きな切れ目におくことも共通する。固有語の文に添って筆を運ぶ呼吸が文字列に表れたのであろう。

背後に思想理念記録技術を含む

 半島では6世紀代から木簡が多用されており、列島はその蓄積されたノウハウを効率よく摂取できたため、初期の段階から多様な木簡が存在し得た。「論語」「千字文」など中国のテキストを書いた木簡が都ばかりか地方からも出土している。7世紀後半から8世紀前半に集中しており、文字の習得とこれら木簡の存在は密接に関わる。半島の文字文化は文字そのものだけでなく、その背後にある思想、理念、精神性、記録技術などを含み込んで列島各地に広まっていた。

 担い手 複雑な過程をたどることが多い書面作成の担い手にも注目すべきだ。その一人に百済系の高丘比良麻呂(たかおかのひらまろ)がいる。祖父は白村江の敗戦で渡日したらしく、父親は楽浪河内(ささなみのこうち)といって文雅に秀で、学問を司る大学寮の頭(かみ=長官)を務めた。比良麻呂は政権交代にもかかわらず重用され、内廷財政を司る内蔵寮の助(すけ=次官)や頭、朝廷の書記局トップである大外記を務めた。持ち前の優れた行政技術・書類作成技術が必要とされたのであろう。

 「椋」から「倉」へ しかし、半島では660年に百済が滅亡、3年後の白村江の戦いで新羅・唐連合軍が百済遺民・倭国連合軍を破り、667年には統一新羅が誕生するなど激動が続いた。白村江での敗戦後、新羅への警戒心を強め国家形成を加速させていた日本は、中国とより直接的に向き合うようになった。その結果、たとえばクラの字が「椋」から「倉」に変わるなど、7世紀までの韓半島的な要素を消し去ろうとする強い意志が見てとれるようになる。

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古代東アジアのロマン紡ぐ
若手研究者の進出に期待

 歴博シンポは、李明博大統領の独島上陸(12年8月)、日本政府による尖閣諸島国有化(同9月)からさほど間のない開催だった。李成市・早稲田大文学学術院教授(朝鮮史・東北アジア史専攻)は閉会の辞でこう述べている。

 「東アジア諸国間に厳しい問題がもちあがり、相互不信という負の連鎖に陥った。私は古代史研究に従事しながらも、古代史研究は過去にとどまる学問ではなく、現在と未来に大いに関わっていると信じている。このたびのシンポでも日韓の若手研究者の活躍が顕著だった。それは、この間の学術交流の賜物でもあり、今後に大いに期待したい」

 学問と政治は分離されるべきであり、ましてや一時的な政治状況に左右されるべきではないとはいえ、研究者たちが韓日、日中間をおおった暗雲を意識しなかったはずはない。それだけに、古代東アジアのロマンを紡ぐ研究活動が現在と未来に関わると信じる姿勢が強調されたのであろう。若手の進出が著しく、学術交流の基盤が手堅くなっているのも頼もしい。

 現在の努力が過去の姿を整えていく。その過去が現在をあらしめる。この関係はつねに双方向でありながら、昨今は、現在の思惑によって過去を変形させる力が強くなってきた。しかし、古代史に限らず歴史研究の重みは未来学を上回るものであろう。

 『古事記』『日本書紀』には、韓半島から優れた学問・技術を携えた人々が渡来し、定着していった経緯が記されている。日本の国家形成の途上で渇望されたのは、暦・天文・宗教、そして外交・内政の行政システムの確立だ。それを導入するには文字の習得が必須条件だった。歴博シンポはその時期に、韓半島の文字文化が重要な役割を果たしたことを検証を通じて浮き彫りにした。

 平川氏はシンポをこう結んだ。

 「これまで日本古代史の研究では、東アジア史を政治史中心にみてきたが、実はひとつの文字、ひとつの発音を通しても東アジアの全体の動きを解明できる可能性が生まれた。有力な手がかりとなる資料が日本列島と朝鮮半島の地下に無尽蔵に眠っていよう。文字文化交流史の研究成果を両国が共有し、現在そして未来に向かっての日本と韓国との深い交流の原点として生かしてゆくべきではないか」

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話題の書を読む

 「歴博国際シンポジウム 古代日本と古代朝鮮の文字文化交流」

 国立歴史民俗博物館、平川南編。大修館書店。定価=本体3800円+税。03(3868)2651

 国立歴史民俗博物館は今年3月で開館31年。日本の歴史・文化を原始・古代から近・現代まで総合展示する日本唯一の機関だ。文献史学・考古学・民俗学および自然科学を含む関連諸学の学際的共同を通じて、現代的視点と世界的視野のもとに、日本の歴史・文化に関する基盤的、先進的研究の推進を唱っている。

 今年10月には、国際企画展示「文字がつなぐ‐古代の日本列島と朝鮮半島」を韓国の研究機関と共催する。

(2014.4.23 民団新聞)
 

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