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「明治日本の産業革命遺産」…韓・日市民団体がガイドブック発行 |
強制労働・動員が経済発展 下支え ユネスコ勧告「歴史の全貌を記述せよ」
韓国と日本の市民団体が共同して世界遺産ガイドブック『「明治日本の産業革命遺産」と強制労働』(88ページ)を発行した。「西洋技術を取り入れながらも自らの力で人を育て、産業を興し、約50年間という短期間で飛躍的な経済的発展を成し遂げた」一方で、各施設で強制労働などの「負の歴史」があったことを強調している。
「明治日本の産業革命遺産」は九州・山口を中心として8県に点在する。幕末の1850年代から1910年までの産業遺産施設だ。第39回ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)世界遺産委員会が「顕著な普遍的価値」を認めて15年7月、世界遺産に登録することを決定した。
ただし、登録にあたっては日本の侵略戦争、植民地支配、強制動員、強制労働など、記憶するべき「負の歴史」が示されていないとする反対世論に配慮し、「歴史の全貌を記述せよ」とする勧告事項を盛り込んだ。日本の佐藤地ユネスコ大使も「1940年代に、自分の意思に反して連れてこられ、過酷な条件下で働くことを強制された多くの朝鮮人等が存在したこと、これらの事実」の理解を可能にするために「インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるため適切な措置」をとると、総会の場で約束した。
だが、登録決定の直後、内閣の閣僚らが「強制労働を認めたのではない」と公式に否認。「強制労働の実態がきちんとインフォメーションセンターに反映されるのか非常に懐疑的」とする日本の強制労働真相究明ネットワークと韓国の民族問題研究所が共同編纂した。
ガイドブックは1,「明治日本の産業革命遺産」の構成と特徴2,「明治日本の産業革命遺産」の歴史‐侵略戦争、植民地、強制労働3,強制労働の現場‐製鉄所、造船所、炭鉱4,世界遺産で強制労働を語り伝える意義の4章構成。
1943年、19歳のときに全羅北道全州から北九州の八幡製鉄所に徴用された朱錫奉さんは「行かなければ配給が止められ、家族が食べていけなくなるので、避けられませんでした」と証言している。作業中は「徴用」の印がつけられた服を着せられ、遠くへ逃げることもできなかったと語った。
炭鉱は労働強度が高く、死亡率も高い。通称「軍艦島」と呼ばれた端島には1000人を超える韓国人が動員されたとされる。このうち、火葬関連文書によって確認された死亡者は50人ほど。死亡者は半分以上が事故死だった。崔璋燮さんは43年、全羅北道益山から連行された。崔さんは「人間の地獄がここだなあと思いました」と証言している。
三池炭鉱には39〜45年、9000人を超す韓国人が動員された。韓半島に出向いた三池の人事担当者の次のような話も紹介している。
「連れてきたとはいうものの、実際にはつかまえてきた。行くたびに地域の面長、日本の憲兵など、力のある人々に金と贈り物を渡して協力を得た。田舎の村に昼間行っても男たちはみな逃げ出すため、夜に行くこともあった。道ばたで通りすがりの朝鮮人をつかまえトラックに乗せたこともある」
(2017.12.20 民団新聞) |
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