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歴史と文化を継承 「朝鮮通信使」関連資料…縁地の取り組み
「今市客館跡」碑を清掃する民団栃木研修団
生家跡に建つ「東アジア交流ハウス・雨森芳州庵」
館舎跡地に碑…栃木県日光市
 朝鮮通信使は江戸時代の初期に3回、日光を訪れている。1回目は東照宮ができあがって間もない1636年、2回目が1643年、3回目は1655年のこと。

 1643年、4代将軍家綱の誕生の祝いに来日した際には、鐘と花瓶、香炉、燭台を贈った。鐘の側面には「朝鮮国王が東照宮におさめるためにつくらせたもの」という意味の文面が見られる。鐘をつるための上部の突起に日本では見られない小さな穴があることから別名「蒸蝕(むしくい)の鐘」とも呼ばれた。この鐘は「朝鮮鐘」として陽明門の手前右側、鐘楼近くの鐘舎に吊るされている。

 このほか、1655年当時の国王進物は輪王寺に大切に保管され、時折宝物殿で公開されてきた。現在の韓国でも存在しないといわれる第一級品とされる。

 江戸幕府はその都度、100棟以上の豪華な館舎を建ててもてなした。これが「今市客館」だ。場所は東武上今市から歩いて1分。現在は杉並木公園になっている。

 地元ではこのあたり一帯を「唐人小屋」と呼んでいた。説明板を見た徐洪錫さん(当時、民団西東京本部議長)は「差別用語」ではないかと問題提起。民団栃木本部の林宏団長(当時)らと当時の今市市長に相談したところ、「この際もっと大きいものをつくったら」という提言があった。

 民団に日本人の関係者を加えた5人で発起人会を構成、朝鮮通信使の来日400年にあたる2007年12月16日、現在の「朝鮮通信使今市客館跡」碑が完成した。

扁額を多数保存…静岡県清水市
 東海屈指の風光明媚な地に建つ清見寺(静岡市清水区興津)には朝鮮通信使揮毫の扁額類が全部で17点ある。多数の書画などと合わせて94年、「朝鮮通信使遺跡」として国の史跡に指定された。

 東海道の要衝の地点にあることから第2、第11回を除くすべての回で前を通過していった。特に最初の2回は宿泊地にもなった。宿泊地が江尻に移った後もしばしば清見寺に立ち寄り、僧侶たちと漢詩の交換を行った。

 その結果、回を重ねるごとに詩稿などが残され、やがて詩稿の一部が順次板額になり、一大扁額群が形成されていった。これは日本と朝鮮王朝との間で政治的な交流だけでなく、文化的な交流が盛んに行われたことを示すもの。

 第1回目の正使(呂祐吉)の子孫が15年、清見寺を訪れた。板額を見て「いままで日本は嫌いであったが、これを見て好きになった」と話した。 04年に来日した第5回目の朝鮮通信使製述官朴安期の子孫は、先祖揮毫の板額が掲げられている鐘楼の前で先祖を偲ぶ儀式を行い、「ずうーっと先祖の筆跡を大切にしてきてくれてありがとう。日本と朝鮮の間にはいろんなことがありましたが、これからも仲良くしていきましょう」とたどたどしい日本語で語った。

先人で村おこし…滋賀県長浜市
 滋賀県長浜市高月町雨森。117戸、人口394人(17年9月30日現在)の農村だ。90年に訪日した盧泰愚大統領が宮中晩餐会で取り上げ、一躍全国に知られるようになった「誠信外交(誠意と信義の交際)」を唱えた江戸時代の儒学者、雨森芳洲縁の出身地とされる。ここで郷土の先人を柱とした「村おこし」が進んでいる。

 県が始めた「小さな世界都市づくりモデル事業」として84年に「東アジア交流ハウス・雨森芳洲庵」が建設され、芳洲の顕彰活動・村づくり・国際交流の核となった。

 村の若者たちはユニークな企画でふれあいの場をつくろうと、スポー大会やイベントを企画・運営していった。「芳洲マラソン」(走った距離を累計し、ソウルまで走ろうというもの)、各地の在日同胞が多数参加しての「朝鮮通信使行列の再現」など。

 韓国から小学生や高校生のホームステイの受け入れによる交流活動、韓国の文化を学ぼうと地元の子どもたちによって結成された「サムルノリ」チームの活動、富永小学校と釜山市蓬莱国民学校との姉妹校提携による交流なども「相手国の歴史・習慣・人情・作法を理解・尊重する」という芳洲の思想を受け継いだもの。このなかから第二第三の芳洲が生まれ育つことが期待されている。

鞆対潮楼を修復…広島県福山市
 朝鮮通信使の一行は鞆の浦(広島県福山市鞆町)の福禅寺に宿泊。客殿を「対潮楼」と名付け、眺望のすばらしさを「日東第一形勝」と表した書を残した。当時、通信使一行が眺めた景観はいまもそのまま残る。

 1940年2月には「鞆朝鮮通信使宿館跡(鞆対潮楼)」の指定名称で県史跡に指定された。日本国民に朝鮮蔑視の思想が植えつけられていった植民地期としては異例だ。

 「鞆対潮楼」の老朽化が進んで90年から保存修理工事が始まると、福山市内から広島県内、遠くは埼玉県からもたくさんの寄附者が名乗り出た。

 このなかには民団福山支部や在日大韓民国婦人会の名前も。92年2月には目標額である所有者負担金の額を達成。94年に「往時の遺構や建造物が良好に残る」として国史跡になった。

 17年に「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会」が鞆の浦で開かれたときは、地元鞆小学校の児童が劇「日東第一形勝物語」を演じた。会場の鞆公民館ホールは満席になるほどだった。同校の旧校歌には「日東第一形勝」が取り入れられている。昨年10〜11月には鞆の浦歴史民俗資料館と対潮楼で特別展を開催。登録資料6件14点と通信使の遺墨が展示された。

足元の国際化へ山口県下関市
 下関は朝鮮通信使が気象条件の異なる玄界灘と瀬戸内海を安全に航行するため、潮待ちや風待ちのために寄港した地。市は歴史的・文化的遺産の普及と顕彰のため、様々な事業を展開してきた。

 取り組みの契機は89年、下関市立長府博物館(現在の下関市立歴史博物館)での展覧会だった。市内に多く在住する在日韓国・朝鮮人との相互理解を深め、足元の国際性を見つめなおすため両国の友好の歴史である朝鮮通信使をテーマとした特別展を開催したのだ。

 当時まだ、朝鮮通信使に対する調査研究は進んでいなかった。朝鮮通信使に関する公的な博物館での本格的な展覧会は珍しいことだった。

 これを契機に朝鮮通信使関係資料の収集にも取り組んだ。朝鮮通信使を日常的に市民に紹介することができるようにするのが目的だった。現在は16件35点の通信使関係の資料を収蔵し、そのうち4件9点がユネスコ記憶遺産登録申請資料となった。

 04年から始まった朝鮮通信使再現行列は昨年、14回目を数えた。いまや下関の夏の風物詩となっている。釜山市での朝鮮通信使まつりには下関市から市長もしくは副市長、並びに市内の芸能団体が必ず参加している。 下関市と釜山市は16年に姉妹都市締結40周年を迎えた。
(2018.01.01 民団新聞)
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