Home > ニュース > 文化・芸能 |
「オリニナル」発足に尽力
オリニを見下げないで見上げてください
大竹聖美(東京純心女子大助教授)
子どもの人権尊重
明るい未来願うまなざし
韓国の5月は、新緑のすがすがしさの中でいくつもの行事が行われる楽しくも忙しい「家族の月」です。5月1日「勤労者の日」、5日「子どもの日(オリニナル)」、8日「父母の日(オボイナル)」、15日「恩師の日(ススンエナル)」、第3月曜日「成年の日」…。
なかでも、国民の祝日としてもっとも盛大に祝われるのは、5月5日の「子どもの日」でしょう。明日を担う子どもたちの健やかな成長と明るい未来を願って、晴れ渡る青空の下、各地でさまざまな記念行事が盛大に催されます。
そしてこの日、思い出されるのが、「オリニ」という言葉を普及させ、最初の「オリニの日」を発足させた「オリニ運動(子どもの人権尊重と文化の運動)」の指導者、方定煥の業績です。
韓国では現在、子どもに対して誰もが愛情を込めて「オリニ」と呼びますが、実はこの「オリニ」という言葉が一般に使われるようになったのは近代以降のことなのです。韓国の「児童文学の父」と呼ばれる方定煥が、1920年代に一連の「オリニ運動」を展開したことで定着しました。
方定煥は、1919年の3・1独立運動の主導者の一人である天道教教主孫秉〓の娘婿です。天道教は、もともと農民運動と青年運動を主軸としていたのですが、方定煥は天道教少年会を発足させ、そのリーダーとして少年運動を推進していきます。
従来、子どもは「児孩(アヘ)」とか「童蒙(ドンモン)」と呼ばれ、一人前の人格が認められていなかったのですが、老人に対する「ヌルグニ」や青年を指す「チョルムニ」と同じように、幼い子どもたちの人格も尊重して「オリニ」と呼びましょう、というのが方定煥の思想でした。方定煥は「オリニの日」を創設しながら、大人たちに「オリニを見下げないで見上げてください」「オリニに敬語を使いやさしくしてください」などと呼びかけています。
方定煥は、独立運動後の1920年に東京に留学しています。東洋大学で学びながら、当時日本で読まれていた、オスカーワイルドの「幸福な王子」やアミーチスの「クオレ」などを韓国語に翻案し、韓国初の単行本童話集『愛の贈り物(サランエソンムル)』を1922年に出版しました。続く1923年3月には、韓国最初の本格的な児童雑誌といわれる『オリニ』を創刊しました。
この『オリニ』誌は、日本の『赤い鳥』などの児童文芸誌と比較され、『赤い鳥』や『金の船=星』が日本で童心主義的童話や童謡の隆盛を担ったように、韓国における童話と童謡を生み出す母体となりました。李元寿の「故郷の春」もこの雑誌から生まれています。 こうした一連の動きから、「子どもの日」も創案されました。そして、『オリニ』を創刊した翌月に天道教少年会を中心に計画され、第1回目の「子どもの日」は、1923年5月1日に実行されました。
その後、プロレタリア運動と合流したり日帝に弾圧されたり、日にちも最初の5月1日から第1日曜日へ変更されるなどさまざまな経緯を経ながら、韓国の「オリニナル」は1975年にようやく現在のような5月5日に国民の休日として制定されました。
方定煥はそのほか、日帝の厳しい監視の中でも朝鮮語で行う口演童話会活動などを続けながら、抑圧された植民地社会の中でも民族の誇りと克己心を持って強く優しく生きていくことを人々に伝えました。
こうした方定煥の足跡は、現在も感動と共に語り継がれています。韓国の「オリニナル」は、明日を担う子どもたちの明るい未来を願った方定煥の思想と共にあるのです。
(2006.4.26 民団新聞) |
|
|
|