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| 朝鮮朝時代の医学書「東医宝鑑」 西日本4カ所で確認 |
| | 財団法人布施美術館所蔵の『東医宝鑑』を閲覧する中沢俊子さん(写真右、滋賀・高月観音の里民俗資料館で) | 朝鮮朝時代、東洋医学を世界に広めるのに貢献した『東医宝鑑』(全25巻、許浚編纂)が日本の各地でいまでも大切に保管されている。江戸時代、『東医宝鑑』は朝鮮通信使がやってくるたび、持参してくれるよう歴代将軍が懇請した貴重な医学書だった。通信使一行とともにやってきた朝鮮の医師(良医)も厚遇されたという。当時の朝鮮が東洋の医学先進国だったことをうかがわせる。
医学先進国から学ぶ
徳川吉宗時代に隆盛
『東医宝鑑』の所在が確認されているのは現在のところ4カ所。
琵琶湖のほとりにある財団法人布施美術館所蔵品は非公開扱いとなっていたが、「民間大使」として日本で『東医宝鑑』の普及に努めている中沢俊子さん(68、武蔵野市)は直接手にとって閲覧し、確認できた。美術館の近くにある高月観音の里歴史民俗資料館で11月23日まで開催された「特別展‐雨森芳洲展」に合わせてガラスケース越しに公開されるのを知った中沢さんが、同館の学芸員で室長も務める佐々木悦也さんから特別に許可を得たもの。
中沢さんが確認したところ全巻すべて傷みもなく、保存状態も良好だった。おそらく、1600年代後半から1700年代半ばに出版されたものだろうと推察している。10巻目末尾にはハングルと漢文で書かれた付箋が挟まっていた。中沢さんは「おそらく伝来記録でしょう」と見ており、書かれた内容の確認を急いでいる。
大阪の武田科学振興財団杏雨書屋には5セットすべて完全な形でそろっていた。京都高麗美術館研究所保管の25巻22冊は韓国の研究者・河延龍氏の研究によって1814年版(純祖14)の書ということも判明した。このほか、対馬民俗資料館でも大切に保管している。
中澤さんは、「今日、日本で漢方と呼んでいるのは、高麗時代、朝鮮時代を通じて中国医学(中医)の漢方を吸収しつつ朝鮮独自の発展をとげた郷薬、すなわち韓方だったといえる。徳川吉宗の時代には対馬に朝鮮語学校を開設し、訳官(通訳者)を育成するほどの力の入れようで朝鮮薬材を求めていた。このような日本と朝鮮のつながりについての研究も進んでいるので、歴史教育のなかで正しく取り上げていきたい」と話している。
韓国の専門家によると、『東医宝鑑』はこのほかにもまだ多く日本国内に存在するという。だが、ユネスコ世界記録遺産にも登載された初刊本は存在しないだろうと見ている。
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薬剤分野で密接な交流
韓国研究者が講演
『東医宝鑑』のユネスコ世界記録遺産登載に奔走した安相佑さん(韓医学博士、大田市)が11月23日、大阪歴史博物館で開催された「国際シンポジウム」に招かれて講演した。席上、安さんは「韓日両国は朝鮮時代から薬材分野で密接な医学交流があった」と明らかにし、会場の注目を集めた。
日本で流通の中心となったのは、大阪で現在も「くすりの町」として親しまれている道修町だ。江戸時代、幕府公認の中買仲間は和漢薬の原料となる中国薬(唐薬)や朝鮮薬(郷薬)をここで一手に扱い、全国に供給してきた。
当時の資料を見ると、朝鮮薬の取扱高は中国薬を圧倒していた。中国薬よりも朝鮮薬のほうが入手しやすかったこと、相対的に日本人の体質に適していたと見られている。朝鮮では古代の新羅地域にあたる大邱市に朝鮮薬材の流通センターである薬令市ができ、薬材の物流・生産拠点として重要な役割を担った。
(2009.12.9 民団新聞)
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