| | | 定価2200円+税。問い合わせはDU BOOKS(03・3511・9970)。 |
韓国ロック界の人気バンド「チャン・ギハと顔たち」で活躍する、唯一の日本人、長谷川陽平さん(42、プロデューサー兼ギタリスト)による初著書『大韓ロック探訪記』(大石始 編著)が先月、DU BOOKSから刊行された。初訪韓から約20年。韓国に活動拠点を移し、ギタリストとして、有名ロックバンドを渡り歩いた長谷川さんでしか知り得ない、韓国音楽の今昔、韓国人との心温まる体験など、たくさんの喜怒哀楽が詰まっている。 “やばい”感じ 最高! 在韓20年 引き寄せる何か、ある 「人生の半分って考えたら、韓国にこんなにいるんだなと思いますね。おそらく、逆転するまでは完全にいるだろうから」。韓国に住み続けて来年20年を迎える。日本でバンドをやっていた長谷川さんが、初めて訪韓したのは95年。音楽活動も人々の出会いも「不思議と何かにたぐり寄せらるようだった」と話す。 同年、音楽仲間で、後に自身も参加する日本人初の大韓ロックバンド「コプチャンチョンゴル」のリーダー、佐藤行衛さんから1本のカセットテープをもらった。 「A面にシン・ジュンヒョン&ヨプチョンドゥル、B面にサヌリムが入っていた」。シン・ジュンヒョン(申重鉉)さんは、60〜70年代の韓国ロックの礎を築いた、大韓ロックのゴッドファーザー。 当時、日本はアメリカやイギリスのロック情報はあっても、韓国に関してはまるでなかった。韓国にロックが存在することすら考えていなかった長谷川さんは「こんなに近い国で、こんなことをやっていたと初めて知ったときは衝撃だった」。その後、もっと聞きたい、知りたいと韓国に向かう。 「この失われた何年間を取り返すんだという勢いで、何度も韓国に行っては、取り憑かれたように大韓ロックのレコードを買いあさった」 96年、韓国で初めて、コプチャンチョンゴルのライブを行うはずだったが、日本人の演奏が許されなかった時代。大変な紆余曲折もあった。長谷川さんは、コプチャンチョンゴルでの活動が知られるようになり、ロックバンドのホボクチ(97年)を皮切りに、ファンシネ・バンド、サヌリムなどの有名バンドで活動してきた。 「チャン・ギハと顔たち」には10年から参加。70〜80年代の韓国ロックとフォークの要素をミックスさせた独特の音楽性と日常の出来事を綴った歌詞、そして独特なライブ・パフォーマンスで絶大な人気を得ている。 なぜ、こうも順調に活動できたのかという問いには「僕のコミュニケーションの取り方が、もしかしたら良かったのかも知れない」と答えた。韓国は年齢の上下関係を大事にする文化があるが、長谷川さんは先輩づらをしなかった。 「僕も音楽を習っているし、まだ未熟なのにこうしろ、ああしろとは言えない。自分の意見を押し通すのではなく、相手の考えを受け入れることを先に考えていた。そういうコミュニケーションの方法が、普通の韓国のギタリストやアーティストとは違ってたのかなって気はする」 韓国理解は得手だった 20年近い韓国生活は、順風満帆だったはずがない。「今、考えると日本に対する恨みとか、過去のことについてすごく言われたりしたけど、むしろそれを補ってありあまるような情が昔はもっとあった。それは日本でも感じたことはない。僕には韓国のことを理解できる才能というか素質があったんじゃないかな」 5月25日、著書の発売を記念して、「チャン・ギハと顔たち」の来日公演が東京の下北沢GARDENで開かれた。 これまで日本でのライブは1年に1回。今回は手応えが今までとは違ったという。大勢やってきた日本のミュージシャンたちがライブ終了後、「こんなに韓国ロックが面白いとは思わなかった」と口々に言った。「面白いと思ってくれる人たちがいるなら、もっと投げかけたい」と、これから日本での普及にも力を入れる。 「大韓ロックは掴みどころがない」という。「僕も20年やっていても、なんでこうなるのか分からないというのは多い。『チャン・ギハと顔たち』にも言えますが、辛抱強く聴いてほしい。聴けば聴くほどやばい、という感じになりますから」。音楽と共に生きた20年だったと話す長谷川さんの今後にも注目したい。 (2014.6.25 民団新聞) |