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関東大震災…よみがえる虐殺の実相
市立南吉田小学校に保管されていた作文
横浜市内 被災児童の作文を検証

 【神奈川】関東大震災朝鮮人虐殺の事実を生々しく伝える作文「震災記念綴方帖」が、横浜市南部の市立南吉田小学校に保管されていた。作文からは当時、校区住民のほとんどが流言を信じ、狂気にまみれて虐殺に加担していたことがわかる。当時の実相を知るうえで貴重な手がかりといえよう。一方で事実を直視し、これからを共に生きるための教訓を学び取ろうという動きも地元の公立中学校教員を中心に始まっている。

教職員ら「歴史の教訓材料に」

 朝鮮人虐殺は横浜市内が最も激しく行われたとされる。「虐殺数6000人」の根拠となった上海の「独立新聞」(1923年12月5日付)によれば横浜、神奈川の虐殺数は全体の3分の2、4000人となっている。 しかし、震災直後に出された公的資料は「流言や自警団の行き過ぎ」や「警察による自警団取り締まり、朝鮮人保護」にふれてはいても、朝鮮人虐殺の事実に言及していない。いち早く作文集の歴史的価値に着目して地道な検証作業を行ってきた市立中学校教員、後藤周さんは、「作文から子どもたちの具体的で生々しい体験、見聞を読み取り、追体験することで関東大震災の実相を明らかにすることができる」と話している。

 後藤さんはこの1年間は、作文を手がかりに虐殺の行われた場所を特定し、地図上に落とす作業を続けてきた。事実をありのままに見つめるためだ。後藤さんは根気強く作業を積み重ねることでこれからの課題が見えてきたと、次のように語った。

 「当時、ほぼすべての人たちが『朝鮮人が襲ってくる』との流言を信じ虐殺に加わった事実。子どもたちもデマによる民族的迫害であることを教えられなかった。その後の侵略戦争の歴史を思うとき、ここに学ぶべき歴史の反省があるのではないか。いま、多くのアジアの人たちをこの横浜に迎えて一緒に生きるとはどういうことなのか、考えなさいという宿題をわれわれに与えてくれたと考えている」

 在日韓国人と日本人の子どもたちが一緒に交流する昨年9月の「ハギハッキョ」では、中・高校生リーダーが震災作文の学習会を持つなか、それを題材に劇をつくった。「ハギハッキョ」では毎年、関東大震災を追体験するフィールドワークを行っているが、子どもたちによる劇は初めての試みだった。

 後藤さんは「現在の中区、南区にまたがる作文の地域は横浜で最も外国人が多い。二度と排外の歴史をくり返さず、この地を多文化共生の地にするとの子どもたちの自発的なメッセージが伝わってくるかのようだ」と話している。

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生々しい目撃証言 震災作文から抜粋

 火に追われ、山での野宿が始まった1日目の晩から流言が流れる。

 「ウワーワーと叫び声。『朝鮮人だ』『朝鮮人が攻めて来た』といふ声がとぎれとぎれに聞こえた。あまりの驚きに、どうきは急に高くなった……何百千とい山の上に居る人々はただただ朝鮮人が来ない様に神に願より他に道はありませんでした」。

 作文は人々の武装ぶりを如実に伝えている。竹やり、とび口、鉄棒、鉄砲、そして先をとがらせた棒も配られた。合い言葉、赤い布、白い布の目印、交替での夜警など、組織だっていく様子も作文からうかがえる。

 「(2日昼)中村橋の所へ行くと大勢居るから行って見ると朝鮮人がぶたれて居た。こんどは川の中へ投げ込んだ。すると泳いだ日本人がどんどん追いかけ来て両岸から一人ずつ飛込んでとび口でつっとした、とうとう死んでしまった」「(2日朝……横浜植木会社付近)行って見ると、朝鮮人は電信にいわいつけられて、真青なかおをしていました。よその人は『こいつにくらしいやつだ』といって、竹棒でぶったので、朝鮮人はぐったりと、下へ顔をさげてしまいました」

 唯一、例外的に朝鮮人に心を寄せた作文もあった。

 「壽けいさつの前を通りこそうと思うと、門内からうむうむとうめき声が聞こえてきた。……うむうむとうなっているのは、五、六人の人が木にゆわかれ、顔なぞはめちゃくちゃで目も口もなく、ただ胸のあたりびくびくと動いているだけだった。私はいくら朝鮮人が悪い事をしたというが、なんだかしんじようと思ってもしんじることはできなかった。某の日けいさつのにわでうめいていた人は、今何処にいるのであろうか」。

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「震災記念綴方帖」

 横浜市立南吉田小学校(当時は南吉田第2尋常小学校)の1年生から6年生までの556人が、震災の年、1923年に専用の原稿用紙に鉛筆書きした。学年別、男女別10冊に綴じてあった。震災後3カ月から半年経った、仮校舎で授業が始まってまもないころに書かれたものと推定されている。これまで同小学校の「子ども資料館」と書庫に保管されていた。04年9月、市立中教員の後藤周さん(横浜ハギハッキョ実行委員)が偶然「再発見」し、有志を募って震災作文の学習会を続けている。作文集は学校側の働きかけを受け、現在は市の開港資料館で保管されている。

(2006.9.6 民団新聞)
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