| 1930年慶尚南道の居昌生まれ。名古屋市立大高小学校卒。68年に前身の丸全油化工業所設立。2男1女孫6人。
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重油の精製および販売 ゼンユーの全炳洙会長 ガソリンスタンドや一般工場などの廃油を回収し、再生処理工場で燃料油(再生重油)などにリサイクルする。半世紀にわたってオイルのリサイクル事業に従事してきた。 「現在、オイルのリサイクルは全自動化され、人手はほとんどかからない。長年の経験から自分で設計し、排水処理も行っている」。神戸と長野に営業所を設け、20自治体の特別管理産業廃棄物に関する許可証を有する。保有する小型タンクローリーは50台ほど。社員は約100人、昨年度の売上額は約30億円。 芋の栽培契機に 10歳の時、父を頼って韓国から大阪に渡った。空襲が激しくなるや、同胞が多数住む、名古屋市内の大高に疎開した。「小学校を出て、一時期、英語を学んだこともあったが、仕事はまったくなかった」 戦後の食糧難の時代。周囲の山が砂地だったのを利用し、サツマイモを栽培した。「当時は甘いものが少なく、商売になると思い、芋から水あめを作ってみた」。しかし、三輪車で菓子問屋に卸したりしたものの、注文は増えなかった。 あきらめて別の仕事に目を向けた。水あめを作るにはボイラーが必要で、燃料としてガソリンスタンドから集めた廃油(重油)を使っていた。オイルがとても貴重品だったことから、なんとかこれをリサイクルできないものかと考えた末、精製して業者に販売する方法を思いついた。オイルリサイクル事業のスタートだった。 「当時、三輪車にドラム缶5、6本を積んで運んだ。その仕事を続ける過程で体を鍛えることができた。今も健康でいられるのはそのおかげではないか」と振り返る。 経済発展とともにオイルの供給量が増えるにつれ、大手の元売りが登場したため、重油の再生オイルは売れなくなった。そこで、重油の代わりに燃料用オイルをつくり始めた。 これを契機に仕事は順調に伸び、68年に法人化、(株)丸全油化工業所を設立した。「資金繰りで苦労した。韓国人というだけで、金融機関から相手にされなかったからだ。しかし、借金をせずに事業を続けてこられたことが、逆に幸いしたのでは」 01年、(株)ゼンユーに社名変更すると同時に、次男の基秀さんが社長に、本人は会長にそれぞれ就任した。韓国の家庭用品メーカー「クリーンラップ」は、長男の基栄さんが社長を務め、本人は会長として補佐している。無害で高品質のサランラップは好評を博し、どの家庭でも愛用されている。特許商品の年間売上額は1000億ウォンを超す。 故郷発展に貢献 「戦後、初めて大阪経由で韓国に行った時、貧しい故郷を目の当たりにして、何かをせずにはいられなかった」。大学の寄宿舎建設や橋梁工事など、故郷の発展や人材育成に尽くした。その功績が認められ、2000年に居昌郡から郡民賞を受賞した。 「ゴルフもパチンコも、上手ではない。趣味といえば仕事かね」。昨年の民団創立65周年記念で功労賞を受賞した。「日本と韓国を行ったり来たりで、時間がない」。多忙が健康の秘訣なのかもしれない。 ◆(株)ゼンユー=名古屋市緑区大高町字西正光寺22(052・622・5551) (2012.4.12 民団新聞) |