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民団中央本部の権益擁護委員会委員長を務めた評論家の田駿氏が6月30日、亡くなった。
田駿先生に初めてお会いしたのは74年10月だったと思う。私は民団大阪本部民生部長で、行政差別撤廃運動の真っただ中にいた。翌75年の中央委員会で行政差別撤廃運動が民団全体の方針に決まり、77年には権益擁護委員会の設置が決まった。田先生は副委員長に就任された。
田先生の最大の功績は何といっても同年5月に第1集が発行された「差別白書」によって、差別問題の実態を全国に知らせ、撤廃運動を全国化するのに貢献したことだ。それまでの差別撤廃運動は大阪、兵庫、京都の近畿を中心に展開されていたが、全国的な盛り上がりはなかった。
近畿の運動実践に共鳴された田先生は、その活動資料をもとに、大阪本部の実務者2人とともに、編集長として「差別白書」をまとめられた。「理論的にすぐれているな」というのが第一印象だった。
初期の権益擁護委員会では、「公営住宅や児童手当の問題に限定すべきだ」「差別撤廃の対象者は協定永住者に限定すべきだ」という意見も。しかし、田先生は「すべての差別事象を網羅すべきだ。すべての在日同胞が対象だ」と明確に主張された。私は「信頼できる人」との思いを強くした。
外国人登録法や出入国管理令の改正問題、いま民団が全力を傾注している地方参政権運動についても、当初は異見があった。「同化につながる」「日本の地方参政権よりも本国の参政権を優先すべきだ」というものだ。そういう慎重論に対しても、田先生は理論的な支柱になり、積極的に方向性を打ち出した。
「大阪で運動を盛り上げろ。世論化を」という示唆をいただいたことも記憶に残っている。金正圭氏らが起こした「参政権100人裁判」は、それが一つの形になったものだ。運動の大きな起爆剤になった。
彼が運動の一線で健在であったら、参政権問題を含む在日の権益問題はもっと早く解決したのではないかと悔やまれる。故人の遺志を無にしないためには、私たちは一日も早く参政権を獲得することだと改めて誓いたい。
(2008.7.16 民団新聞)
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