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ニューミレニアム…走れ!在日コリアン<5>

在日2世の出版業者・高二三さん(48)



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出版で在日の生き方伝える
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故金達寿氏から教わった「図・鈍・根」の精神
才能持った同胞を世に

 高二三さんは1951年、東京都北区に生まれた在日二世で、現在48歳。87年に出版社、新幹社を創設した。

 将来は物書きになりたいと思い、大学卒業後に三千里社に飛び込んだ。編集部に入れば文章修業ができるのではないかと思ったからだという。


◆『三千里』の大物たち

 そこでは在日一世の学者・作家が、雑誌『季刊三千里』の編集に携わっており、故金達寿氏や金石範、姜在彦、李進煕氏らそうそうたるメンバーがいた。

 「一人でも怪物的な大物なのに、それが6、7人もいると二世の意見は通らない。押しつぶされてきた」と笑う。

 自己実現できないもどかしさをずっと引きずっていたが、その思いがやがて二世の出版社創設につながっていく。

 故金達寿氏から「図・鈍・根」の精神を教わった。「ずうずうしく、鈍感に、根性をもって」頑張れという叱咤激励だ。今もその言葉は心に残っている。

 10年近く勤める中で、李哲社長から「民族のために、在日のために」と言われ続けてきた。李社長はその信念が血肉化された人物だった。作家や出版業界、メディアの人と多く知り合った。いいポジションにいると思っていたが、次第に物をつくり出す楽しさを実感するようになった。

 自分よりも数段才能のある人やなみなみならぬ努力をしている人がいるのを知り、こういう人たちを世に出してあげたい、才能のある人を引き立てる役回りをしようとの一念から新幹社を始めた。


◆ライター育てる出版

 在日同胞の中には、表舞台に出るライターはいても、ライターを支え、育てるような出版事業を展開する人がいなかったからだ。そして、物書きへの夢も自ら断ち切った。

 1970年代までは出版事業に対する在日同胞社会の理解がそれなりにあった。いい仕事をしていたら支援もしてくれたし、何とか生活ができた時代だ。

 ところが、新幹社を始めた頃から「民族のために、在日のために」と言っても「自分が好きでやってるんでしょ」という時代感覚になった。

 在日の共同体意識がうすくなりつつある現状を憂う高さんが、口にしたのはユダヤ人社会の例だ。


◆ユダヤ人の誇りとは

 2000年たってもユダヤ人が誇りを捨てずに生きているのは、宗教とともに文化と教育を何よりも大切にしたからだ。

 仮に戦争になって家財は失ったとしても、ユダヤ人は子どもへの教育と自民族に対する誇りや精神を伝えてきた。在日同胞にもそれができるのではないか、と問題提起する。

 「在日同胞が本を読まなくなった」という指摘に、高さんは「食うために必死だったから」と笑いながら答える。新幹社を日本社会とどう向き合い、在日がどう生きていくのかを問い続けていく出版社にしたいと熱っぽく語る。

 それが高さんにとっての「民族的に生きる」ということだからだ。雑誌『ほるもん文化』には、そんな高さんの思いがぎゅっと詰まっている。

 「コピーやコンピュータで必要な情報だけ取り出すというのではなく、本でしか伝えられない文化がある。それを発信したい」。

 在日は不幸な状況の中から生まれてきた。しかし、抑圧された人間こそが人類の先駆者として苦しみの中から新しい文化や価値観をつくっていける。「数は少ないけれど在日は大きな存在だ」と、2000年へ夢をつなぐ高さんだ。

(2000.01.01 民団新聞)



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