♪月が〜出たでた〜、月がぁ出たー♪で始まる有名な炭鉱節。三井三池鉱山で歌われたという。
その三井三池鉱山は95年3月30日、108年の歴史に終止符を打った。かつて「石炭1トンは金1トン」と呼ばれた時代は過ぎ去り、エネルギー需要のの大半を石油に奪われ、また輸入炭に対抗できるコスト減にも耐えられなかった。
韓日近代史の中で、炭鉱=強制連行という事実が思い浮かぶ。軍備拡張から石炭需要は高まり、第二次大戦後半に至っては韓半島から大量の労働力を強制的に炭鉱に注ぎ込んだ。落盤や爆発事故。人を人とも思わぬ使役に酷使させられ、生死をさまよう体験をした同胞もまだ存在する。
三井三池炭鉱は、戦後の高度成長を支えた日本のエネルギー政策の根幹といわれるが、同胞にとってはおぞましい歴史の一側面といえる。
そんな三井の象徴が三池港にある三井倶楽部だ。韓日併合の2年前の1908年に開館した同倶楽部は、いまでは「明治の洋館」として優美な姿を見せるが、同胞たちにとっては「権力の象徴」であり、一歩たりとも足を踏み入れられぬ地であった。館内には伊藤博文初代朝鮮総督の書や日本の皇族が来居した写真が飾られている。
かつてこの建物を眺めながら、なぜ自分たちがこんな目に合わねばならないのか、呪われた立場に涙した同胞も多かったろう。
その象徴も今では格式高い結婚式場、レストランとなっている。誰でもが自由に出入りし、自由に注文できる。大牟田を訪れた際、ここで地元民団幹部においしい昼食をご馳走になった。食後、古老の一人はペーパーナプキンに感慨深げに記して見せてくれた。「時代変遷」と。(L)
(2000.01.19 民団新聞)
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