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在日へのメッセージ

小田川興(朝日新聞・編集委員)



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ミレニアムの船出

小田川興(朝日新聞・編集委員)

 新たな1000年紀の門出に、在韓日本婦人の集まりである「芙蓉会」の熊田和子会長から賀状をいただいた。植民地時代から1965年の日韓国交正常化までに韓国人と結婚して、さまざまな事情で帰国がかなわぬ女性たち約500人が同会に登録しており、ほかに連絡のとれない人などが約100人もいるという。

 身寄りを失って慶州のナザレ園に入った人や満豪開拓義勇団の孤児もいる。日韓のゆがんだ歴史とともに歩んだ世代だけに、戦後半世紀余りの苦難はいかばかりか。「反日」の空気には人一倍敏感のようだ。

 「(植民地化の)しっぺ返しだと思いますが、もう少し私どもが暮らしやすい状況がつくられればと思っています」という熊田さんもやがて70歳。

 が、未来志向で「実家と婚家である日韓の和をめざして努力している」との言葉にほっとした。実際に韓国の女性団体との交流を活発に進め、後援会も生まれたという。

 年末には、社会福祉法人「こころの家族」理事長の尹基さんから、堺市にある「故郷の家」発足から10年の記録集が届いた。

 尹さんたちが奔走してできた在日コリアンのための特別養護老人ホームに暮らすハルモニ、ハラボジたちと職員や支援者の温かいきずなが貴重な本に結晶した。

 九州の炭坑で働き、広島で被爆しださん。不遇だった夫に代わり、食堂の賄いとして働いて8人の子供を育て上げた金さん。被害者の側で歴史の重荷にあえいだ人たちだが、ここには尹さんの母親、故田内千鶴子さんから受け継いだ木浦共生園の精神がたくましく脈打っているように思う。

 正月の日韓交流の話題は「NANTA」公演だった。パーカッションの熱気に立ち上がり拍手する観客と舞台が一体となり、日韓の「海峡」は消えていた。若い世代が体で共生、いや共振の可能性を語っていた。

 ミレニアム。戦争の過去を引きずりながらも、一歩ずつ希望の未来を積み上げていきたい。

(2000.01.26 民団新聞)



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