民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
北韓の国家的犯罪を斬る<20>

北送事業(17)・乗船拒否された李洋秀さんに聞く



騙した総連に責任
北韓同胞救済の思い強く

 「帰国」を拒否された本当の理由は、母親が日本人で、「汚い日本人の血が流れている」というものだった。当時、10歳の少年は一人で海を泳いででも北に行きたいと焦がれたが、母の血を恨み、母を責め、3日間泣き通すしかなかった。

 「帰国」したかつての同級生からの暗号の手紙で、「北はどうもひどいらしい」と間接的に知るようになったが、それよりも夢と希望の方がまさっていた。

 当時、寺尾五郎の「38度線の北」という北を礼賛する本のほかに、大手新聞でも同じ様な連載が掲載されていた。そこには、北では1年のうちに一週間は誰もが温泉に行くことができると書いてあった。「今でも新聞の一言一句をおぼえている」と洋秀さん。

 しかし、母と一緒に夢見た温泉地への旅は、夢のままで終わった。


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「帰国船」中止の波紋

 朝鮮学校に復学した洋秀さんに、送り出した先生や同級生は「なぜ帰らなかった」と罵詈雑言を浴びせ、時計や文房具などの餞別品を返せと迫った。いじめがきつくなった。

 高校2年の時、「帰国船」が中止になるという話が持ち上がった。担任の先生はクラス全員に「帰国はしなくていいから全員申請書だけは書け」と命じた。

 「帰国」事業が途絶えるということは、日朝を結ぶ唯一のパイプがなくなることを意味する。「それを避けるために、「帰国申請書」の数による既成事実で日本当局に「帰国」事業の継続を要求するものにほかならなかった。

 それでも、誰も申請書を書かなかった。洋秀さんは運動に協力する意味で書いたが後日、先生から呼び出され、「申請しながらなぜ帰らないのか」となじられた。北では16歳になると選挙権も与えられ、一人前に扱われると知っていた洋秀さんは、一計を案じた。周囲にも16歳で単独帰国した者も多かったので、「社会人として私が実の母親を連れて行く」と要求したのである。

 ところが、またもや「お前はいいが、母の血が卑しい。母を捨てて一人で来い」と拒否された。


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二重の民族差別に絶望

 日本社会の民族差別に加え、母の出自によって祖国からも捨てられたとの絶望感は、洋秀さんを打ちのめした。その苦悩を誰にも言えずに悶々とした日々を送った。

 「帰国事業は在日同胞にとって致命的だった。騙された同胞も騙した総連も、それを煽った日本の『進歩的な』人間や在日を追い出したかった連中にも責任がある」と洋秀さんは指摘する。その上で、「北朝鮮が帰国者には地獄の片道切符ではなかったということを証明するために、年に1回でも日本に里帰りさせるくらいの自由があれば、何の問題もなかった」との思いもある。それが50年以上もできていない。

 中学3年の時、朝鮮青年同盟の幹部養成講座で一週間ほとんど不眠不休の「総括」に参加し、急性肺炎から結核を患った。国が指定した大病だから、結核と判断されれば、治療費は国の負担になるはずだった。

 しかし、レントゲンの結果、自然に治癒していたため、検査費用も本人負担となった。生活保護も打ち切られた母子家庭では払えない大金を、同級生らが学校を休んで肉体労働でお金を工面してくれた。

 「自分自身がこの時代を生きる歴史の主人公として、北朝鮮で苦しんでいる同胞を救うために何かできることをしたい」。それが、かつて窮地を救ってくれた同胞の愛、恩に報いることだと思っている。

(2000.03.15 民団新聞)



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