去る5月7日、彼が幹事役を務めているある研究会に、事前の連絡もなく欠席していた。几帳面な彼にしては、かって例のないことであった。
翌8日の夕方、はじめてマンションの自室で変死していたことを知らされた。死んでからすでに2週間もたっていた。
法律を専攻した彼は、われわれにとって、実に貴重な存在であったばかりでなく、任された仕事は緻密にこなしてくれた。彼を失ってみると、その穴を埋めるのが大変だ。
彼は研究者としても、社会活動家としても優れていた。『創氏改名の研究』をはじめとする『在日朝鮮人の帰化』、『日本の指紋制度』など、その専門と性格をそのまま反映させた緻密な研究であった。
彼は、民団中央の「民族大学』に、在日韓国・朝鮮人問題の講師として積極的に参加したばかりなく、花園大学、関西大学、奈良産業大学の講師として、日本人学生たちの信頼も厚かった。
なかんずく「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)の代表として、閉鎖された北朝鮮の人権問題を白日下にさらし世論化するため、いろいろな脅迫と迫害を乗り超えて、勇敢に闘った。
享年51歳。彼の活動の本番はこれからであった。失ったものの余りの大きさに、語る言葉もない。天寿を全うせずに世を去った故人の無念を想いながら、冥福を祈りたい。合掌。
(2000.05.17 民団新聞)
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