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ルーツを探れ



 東京の荒川区に住む同胞は済州道出身者が過半数を占める。中でも高内里を故郷に持つ同胞が多い。

 地場産業は鞄の縫製だ。解放前からこの地に住んでいた同胞が鞄づくりを始めた。そして同郷の者が集まり、集落が形成されていった。というのが荒川の同胞形成史の一端だといわれている。これが基本線で、様々に枝別れした状況が存在する。

 まさに一世たちが生きてきた道である。二世でも若い世代は知らない事実が多いだろう。70年代や80年代生まれの三世ともなると、全く未知の世界かも知れない。

 その昔、荒川の三河島地区を歩いて回ると、古老たちが懐かしそうに「あの当時はなぁ…」と盛んに解放直後や鞄の縫製に携わるようになった経験を語ってくれた。実体験が無い者にとって見れば、一向にイメージが浮かばない。

 しかし、故朴慶植氏が編纂した資料集成や荒川区史など関連資料をあさる内に、故老が語った事実に突き当たる。「やったー」である。そしてまた新しい事実を懐に、故老に会いに行く。より内容を深めるために。

 荒川以外にも数カ所調査したことがあるが、最も感激したのは朝鮮総連系の同胞も惜しみなく協力してくれたことだ。「今しかない。がんばってくれ」と貴重な写真を提供してもらったこともある。

 青年会が今年から、地域の在日同胞生活史を調査し、まとめるという。

 当時の日本の世相、生活水準など総合的に調査を進めれば、脳裏に同胞が営々と生きているイメージが湧いてくる。そのために朴氏は貴重な資料を残してくれた。

 今、三世の青年たちが地域に入り、ハラボジ、ハルモニが生きてきた道を探ろうとしている。(L)

(2000.05.24 民団新聞)



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