民団新聞 MINDAN
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在日へのメッセージ

「小さな下宿人」
吉田健一(時事通信社会部記者)



 1988年から1年数カ月、高麗大学に語学留学をしたときの話である。私が住んでいた下宿は、夫を亡くしたアジュンマが自宅の古い民家の一部を開放したもので、4人の学生と学院(予備校)の先生が入っていた。私は四畳ぐらいの部屋に、忠武出身の学生と2人で暮らしていた。

 大学生になるアジュンマの長男は、天井が1メートルちょっとしかない屋根裏に追いやられていた。高校生の三男は部屋がないので、いつも友達と出歩いていて、夜遅くアジュンマの部屋に戻ってきた。下宿生たちはアジュンマの部屋でテレビを見たり、長男を交えて誰かの部屋で酒盛りをしたりと、大家族のような生活だった。

 しばらくして、小さな家族が加わった。小学3年生ぐらいだったヨンシンは、家庭の事情で親元を離れ、数カ月間、アジュンマの部屋に下宿した。腕白坊主で、暇な下宿生たちは、駄菓子を買ったり、バトミントンをしたりして一緒に遊んでいた。

 あるとき、私の机の引き出しに入れていた数万ウオンがなくなっていた。当時の私にとっては大金だったので慌てたが、犯人はすぐに分かった。駄菓子を買う量が急に増えていたヨンシンだった。最初はとぼけていたが、厳しく問い詰めると、泣きながら認めた。

 盗んだ金で、近所の子供たちにも駄菓子を振る舞っていたようで、ほとんどが消えていた。アジュンマは、「健一にとても恥ずかしい。韓国人を悪く思わないでほしい」と言って、お金を返してくれた。アジュンマは、一度はヨンシンを厳しく叱ったが、その後は優しくしていた。ヨンシンは、しばらくして下宿を出た。施設に入ったのか、父親と暮らすようになったのか、はっきり覚えていない。

 日本では最近、17歳の凶悪犯罪がクローズアップされている。熾烈な競争によるストレスのためか、子供らしい元気が見られない子供が多い中、「健一ヒョン(兄ちゃん)」と呼ぶヨンシンの元気な声が懐かしく思い出される。

(2000.05.24 民団新聞)



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