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沿海州で再起かける旧ソ連の高麗人

日本農村復興会が自立支援



トマトの苗を前に現地農業専任者から
説明を受ける日本農村復旧会の
竹光嗣夫さん(右)=オレホボ農場で

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冷麺売り上げ、一部を基金に

 スターリンの強制移住政策の犠牲となり、遠く中央アジアに追いやられていた高麗人が、93年度から個別に父母の生まれ育った沿海州に戻らざるを得ない状況に置かれている。その数、2万から3万人といわれる。ソ連邦崩壊と中央アジア諸国の独立のあおりを受けて、居住が困難になり、文字通り「着の身着のまま」避難してきたため、生活基盤を築くのに悪戦苦闘している。窮状を知った長野県の民間団体、日本農村復旧会(曽我秀行代表)では「高麗冷麺」、「高麗ビビン麺」を生産販売、その売り上げの30%を高麗人再生基金会(キム・テルミル会長)に贈ることを計画している。

 中央アジアから移住してきた高麗人のうち親戚縁者を頼れない約1000人に対して、ロシア沿海州知事は、旧ロシア軍施設やアパートなど5カ所を提供した。入居者には宿舎以外に2〜3ヘクタールの耕作地も与えられているが、肝心の営農資金と老朽化した施設の補修費が決定的に不足している。

 韓国、及び日本人の支援団体からは民間レベルの募金が高麗人再生基金会に寄せられており、そのお金で農事のための種と最低限の農機具を購入した。今年に入って雪解けと同時に大豆、ソバ、各種野菜などの苗づくりも始まった。収穫が始まれば今後の生活にも希望を持てそうだ。一方で、兵舎には水道もなく、電気もついたり消えたり。その電気代も満足に払えず、日々の食糧にも困窮しているのが実状だ。

 現地を視察してきた支援団体、日本農村復旧会は「高麗人は農業で成功した人たち。あと2、3年、資金援助があれば確実に自立できる。ただし、収穫できるまでは当面の資金と食糧が必要」と話している。

 日本農村復旧会は、自然農法に取り組む韓国農村復旧会の日本支部として93年5月に設立された。自給自足を目指して、長野県と千葉県で有機農園と自然養鶏場を運営、97年からは韓国から機械を入れて冷麺づくりにも励んでいる。親団体の韓国農村復旧会がロシア高麗人再生基金会と今年1月に姉妹結縁関係を結んだことから、高麗人の支援にも取り組むようになった。

 この間、日本の大手企業や財団に投資や支援を呼びかけているが、未だ結論は出ていない。このため、自分たちが自然農法で生産した「高麗冷麺」、「高麗ビビン麺」を売り、売り上げの30%を高麗人再生基金に寄付することを考えている。

 同食品事業部の竹光嗣夫さんは「ロシアの田舎では一カ月一人当たり2500円あれば、最低限食べるだけの生活はできます。すべてを失った高麗人の方々の生活が1日も早く安定するよう、皆さんに支援してほしい」と呼びかけている。

 値段は「高麗冷麺」が2食入り300円、「高麗ビビン麺」は同じく500円。個人宅配は一ケース(24個入り)以上から受け付ける。運賃は申し込み者負担。問い合わせは日本農村復旧会。電話0265(94)4977、FAX0265(94)2432。


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旧ソ連の高麗人について
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スターリン時代に強制移住
沿海州追われ、中央アジアに

 高麗人の韓半島から沿海州(ウラジオストクから北方、サハリンの西向かい)への移住は、1860年ごろから始まったとされる。様々な差別に耐えながら水田を耕作、米作りに成功して旧ソ連邦に貢献した。

 しかし、スターリンは、高麗人が日本軍に通じている「敵性民族」と疑い、1937年、十八万人を家畜運搬車などで六百キロ離れた中央アジアに強制移住させた。ほとんど砂漠のような土地で厳寒の一冬を過ごし、春になると河川を探して灌漑施設をつくり、初めて米作りに成功した。

 高麗人は韓国語の使用を禁止され、旅行も制限されるなどの悪条件のもとでもロシア語を学び、教育熱の高い模範的な民族として多くの弁護士、医師などを輩出した。

 しかし、ソ連邦の瓦解とともに独立国となった中央アジア諸国は、ロシア語以外の言語を公用語とし、回教の復活を目指したため、ロシア語しか知らない高麗人は社会的に阻害され、職場を追われていった。

(2000.05.31 民団新聞)



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