民団新聞 MINDAN
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よみがえる解放後在日同胞運動史

故・朴慶植氏の遺志継ぎ、資料10巻



資料集の刊行を喜ぶ
文化センターアリランの朴載日さん

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重要文献など埋もれた資料を網羅
『朝連』1・2巻刊行

 在日同胞運動史研究家、故・朴慶植氏が遺した解放後の在日同胞運動に関する基本資料・重要文献が、このほど『在日朝鮮人関係資料集成ー戦後編』(不二出版、全10巻)として復刻・出版された。今月初めから配本の始まった第1・2巻には、在日本朝鮮人連盟の結成から解散に至るまでの関係資料を収めている。在日同胞による苦難に満ちた民族運動の足跡をたどるうえで、貴重な研究資料となりそうだ。

 同『資料集成』全10巻には当時の同胞団体による大会報告書、会議資料、ビラなどの第一次資料を合わせて300点、及び在日同胞自身が刊行した新聞・雑誌約60タイトルを収録している。これらは故朴慶植氏が生前にコツコツ集め、秘蔵していたもの。在日同胞運動史研究家の多くが「初めて見る貴重な資料ばかり」と感嘆している。

 第一巻『在日本朝鮮人連盟関係1』には、解放直後に民団、総連系問わず一緒になって結成した在日本朝鮮人連盟(略称、朝連)の「第7回中央委員会々録」(1946年8月2日ー4日)をはじめ、1948年までの中央委員会議事録や同経過報告などを収録している。

 特に1946年10月に開かれた「朝連第3回全国大会部別報告書並参考書類綴」では、祖国への帰還援助、戦時労働に対する未払い賃金請求や補償要求を中心課題としてきた朝連が、徐々に日本における在日同胞の生活権擁護と民族的諸権利の保障を要求することに活動の重点を移していったことがよく分かる。

 解放直後、日本にいた同胞は争うようにして帰国を急いだが、早くも1946年には伝えられてくる祖国の政情不安から帰国を見合わせるようになっていた。また、帰国しようにも、手荷物・所持金を厳しく制限されていたという物理的な事情もあった。

 第二巻『在日朝鮮人連盟関係2』では、「在日朝鮮人の民族的諸権利が十分保障されていない」とする朝連側が、GHQ・日本政府との対立を次第に深め、やがて団体規制令に抵触したとの理由で1948年9月8日に強制解散命令を受けるまでを当時の裁判闘争の記録などで振り返る。

 故・朴慶植氏は生前、自ら集めた数万点の資料を体系化しようと、一部は目次案まで付していたが、98年2月13日に不慮の交通事故に遭い、念願を果たせなかった。

 死後、これらの資料は遺族によってジ賀県立大学に寄贈された。ただし、書籍などを除く一次資料については埼玉県川口市内の「文化センターアリラン」(朴載日理事長)に移され、朴慶植氏と親交のあった在日朝鮮人運動史研究会(樋口雄一代表)のメンバー6人が整理、解題を付けて編纂しなおした。

 この後、第3巻『居留民団関係』、第4巻『朝鮮人連盟解散と民戦』、第五巻『在日朝鮮人職業名鑑・文化年鑑』ーと順次続き、2001年2月までに全巻配本が完了する予定。限定八十セット。全10巻そろいで28万円(税別)、分売はしていない。

 問い合わせはTEL03(3812)4433。


故・朴慶植氏の略歴

 1922年、慶尚北道生まれ。解放後、朝鮮建国促進青年同盟に加入、後に離脱。1949年、東洋大学文学部史学科卒業。1970年3月まで東京朝鮮中・高級学校、及び朝鮮大学校教員を務めた。晩年は「在日同胞歴史資料館」建設に力を注いでいた。1998年、不慮の事故で死去。主な著書に『朝鮮人強制連行の記録』(未来社刊)など。

(2000.06.21 民団新聞)



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