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在日へのメッセージ

「30数年ぶりに」若一光司(作家)



 私がレポーターを務めたドキュメンタリー番組『コリアンの新しい風が吹く(山口県・下関市)』が、『ETV特集』の一作としてNHK教育テレビで放送されたのは、今年の2月15日夜のことだった。

 在日の歴史の出発点ともいえる下関の町を舞台に、韓国舞踊の普及に情熱を燃やす女性や、韓国の食材を日本に紹介しようと頑張っている貿易商の兄弟など、在日の最新動向を追ったこの番組は、幸いにも大方の好評を得ることができた。

 当番組は6月上旬にも再放送されたが、その直後に突然、中学時代の級友から電話がかかってきた。

 「若一、ほんまに久しぶりやなぁ。おまえが出てた番組を見たけど、なかなかよかったし、嬉しかったんで、話がしとうなってな」

 Mは懐かしげにそう切り出すと、東京の大学を卒業後に埼玉の食品会社に就職し、今は管理職であることや、娘が2人いることなどを、とつとつと話してくれた。

 Mとは高校時代に地元・大阪で何度か会ったことがあるが、以後の動向は全く知らずにいた。だから三十数年ぶりの会話である。

 そしてMは、思いがけないことに、「たぶん若一も気づいとったやろうけど、実はおれも朝鮮人やねん。埼玉に来てからは、ずーっと本名で暮らしてるんや」とも打ち明けてくれた。

 私が「本名はなんてゆうんや?」と尋ねると、「韓国の韓とゆう字を書いて、ハンと読む」と教えてくれた。その後で、「そやけど、中学時代には平気で朝鮮人をバカにしとった若一に、この歳になって本名を教えることになるとは、夢にも思わんかったでぇ」と、彼は本心から愉快そうに笑った。

 私も苦笑しながら、「人間は成長するもんや」と応じるしかなかったが、近々に会うことを約束して電話を切った後、私は各々にとっての歳月の意味を思い、深い感慨にとらわれた。

 私と彼は、朝鮮戦争が始まった年に、大阪の同じ町で生まれている。今年でちょうど、50歳になる。

(2000.07.05 民団新聞)



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