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在日へのメッセージ

宇恵一郎(読売新聞解説部次長)



◆鎖国から開国へ

 ある座談会のため、韓国の江華島を訪れた。ソウルからバスで2時間。漢江が南北を隔てる臨津江と合流して、黄海に注ぐ河口に位置する島だ。本土とは幅1キロにも満たない海峡で隔てられている。この島が李氏朝鮮末期の韓国にとって、鎖国から開国へと向かう重要な場所となった。

 欧米列強が日本に続いて朝鮮に開国を迫った十九世紀後半。1866年にはフランスが、1871年には米国が、それぞれ軍艦を押し立てて江華島を攻撃したが、朝鮮軍はこれを撃退。1875年には日本の雲揚号が島の草芝鎮の砲台と交戦、その処理をめぐって翌年、日朝は江華島条約を結んで、朝鮮は開国する。

 座談会出席者とともに、砲台跡や条約が結ばれたゆかりの場所を巡った。今は静かな砲台の遺跡の一角に命をかけて国を守った朝鮮の将軍たちの墓がある。

 江華島条約を巡っては韓国内でも評価は分かれる。鎖国から近代へ向かう歴史の転換点だったのか、それとも日本の半島侵略の足がかりなのか。欧米の開国圧力にさらされる中で、日本も揺れたし、韓国も揺れた、そんな時代だった。

 時は流れ20世紀最後の年の6月14日夜。歴史的な平壌訪問を果たした金大中大統領は、晩餐会のあいさつに立ち、金正日総書記に向けてこう語りかけた。「苦難の民族の歴史を振り返る時、19世紀の朝鮮末葉に内部の混乱で、国を開くことに失敗し、日本の介入を招いた。今や新しい世紀の入り口で同じ過ちを繰り返してはならない」と。

 今、江華島の隣に浮かぶ永宗島では、世界に開く仁川国際空港の工事が急ピッチで進む。来年三月には、世界に誇るアジアのハブ空港が開港する。

 「日韓近代の岐路」をテーマにした座談会の最後を、元韓国文化相の李御寧氏はこう結んだ。

 「近代の入り口では、国を閉じることが国を守ることだったが、いまや国を開くことが国を守ることだ」

 開国に大きく動き始めた北朝鮮。その姿が重なって脳裏をかすめた。

(2000.7.19 民団新聞)



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