「逢いたい、姉ちゃんに」。朝鮮半島の北側から届いた手紙には、こう記されていた。白い便箋にぎっしり詰まったボールペンの文字。東京都内に住む在日コリアンの女性(71)は、約40年前に別れたきり、一度も会えない弟からの手紙を読み返した。そして「私だって逢いたい。両親の墓参りをしたい」とつぶやいた。
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南北それぞれ100人の離散家族がこの夏、ついに再会した。束の間の水いらずの時。涙にくれながら「これが最後かもしれない」と別れを惜しむ様子は、胸に迫るものがあった。一方で、その光景を喜びながらも複雑な思いを抱いている人たちのことが気になった。在日の離散家族だ。
前述の女性もその一人だった。両親と弟5人は、1950年代末に始まった帰国運動で、北への船に乗り込んだ。「私たち一家は韓国籍。長女の私と長男であるすぐ下の弟は、『北の出身でもないのになんで行くのか』と最後まで反対した」と女性は振り返る。「けれども、あのころは本当に貧しくてねえ。弟たちは『新しい国造りをする』と希望に燃え、両親を説得して行ってしまった」
手紙のやり取りさえできなかった南北の離散家族に比べて「在日は、まだ恵まれている」という声があった。だが、とりわけ日本と国交のない北側に肉親がいて、しかも韓国籍の場合は、どうだっただろう。
手紙が来るのは年に1、2回。詳しい生活の様子は分からない。「人道的な理由があれば、これまでも訪問は認められていた」という。しかし、訪問するまでの繁雑な手続きや、費用のことを考えれば、乗り越えなければならない壁は多すぎる。
分断は日本の植民地支配に遠因があり、日朝の国交樹立の問題もある。それでも南北会談以後、半島の情勢はめまぐるしく変わっている。雪解けムードが広がっている。南北の両リーダーにホットラインがあるなら「今度は在日の離散家族のことを話し合ってくれるといいなあ」と思っている。
(2000.08.23 民団新聞)
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