民団新聞 MINDAN
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「アイゴー」の号泣、半世紀ぶり涙の再会

離散家族200人ソウルと平壌で



オマニ!15日、平壌の高麗ホテル面会場で
北に住む李ヨンウォルさん(56・左側)が
「6・25」の時に別れた母親の金チャンニョさん(79)
を北の方言「オマニ」と呼び抱き泣き叫んだ。
越南した月日の長さほど胸に傷を負った母親は、
結婚した時に義母からもらった銀の指輪を
溶かして作った指輪を娘にプレゼントした

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肉親の"情"通わせた4日間

 「6・15南北共同宣言」に基づく南北の離散家族100人ずつの相互訪問が、15日から18日まで行われ、平壌とソウルで半世紀ぶりに家族・親戚と涙の再会を果たした。離散家族相互訪問は、85年9月の南北各50人以来、2回目。

 南北の離散家族訪問団は、それぞれ離散家族100人と団長1人、随行員30人、取材記者20人の合計151人からなる。北韓の離散家族は、3泊4日の滞在期間中、15日午後の団体対面(韓国総合展示場)を皮切りに、16、17の両日に2回の個別対面と1回の昼食(シェラトン・ウォーカーヒルホテル=宿所)、16日夜の夕食(三元ガーデン)など、約11時間にわたり家族・親戚と一緒の時間を過ごした。このほかに、ロッテワールド民俗博物館と昌徳宮を見学し、歓迎・歓送晩さん会に参加。

 一方、韓国の離散家族は平壌滞在中、宿所の高麗ホテルで団体対面(15日午後)、個別対面と昼食会(十六、17日)、惜別対面(18日午前)など合計11時間近く北韓の家族らと一緒に過ごしたほか、大同江、金策総合大学、檀君陵を見学(16日午後)、歌劇「春香伝」を観覧(17日午後)した。

 今回の相互訪問では、一人につき家族5人との対面を果たした。しかし、原則として指定会場のみで再会が許され、宿泊所で家族が一緒に泊まることも禁じられた。家庭訪問や墓参りは、前回同様、北韓側の拒否により認められなかった。


「クンジョル」
15日、面会場に車イスで現われた
崔インチャンオモニ(91)の前で
クンジョル(最敬礼)をする
北の李チュンミョン氏(70)

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 祖国解放の喜びもつかの間、1950年に勃発した6・25韓国戦争は、同族相殺の悲劇を生んだ。53年7月に休戦協定が結ばれるまでに、多くの同胞が犠牲になると同時に南北の国土は焦土と化した。

 同時に戦争のさなかに南北に生き別れた1000万人の離散家族を生んだ。85年にはただ一度だけ、南北50人ずつの離散家族再会が実現した。今回は6月の南北共同宣言による双方100人ずつ、200人の離散家族が光復節の15日を期して、ソウルと平壌で50年ぶりの肉親との再会を果たした。

 再会会場で顔を見た瞬間に泣き叫ぶ親子。声にならない嗚咽(おえつ)を漏らしながら抱き合う兄弟。韓半島全土が涙した4日間だった。しかし、再会の喜びの影には、まだ肉親と会うことができない1000万人の離散家族が存在する。


北から来たイム・チェヒョク氏(左側)が、痴呆症で息子のことが分からない90代の父親、イム・フィギョンさんの顔をなでながら嗚咽した


半世紀ぶりに北から来た息子、チョ・ヨンジンさんと再会した母親のチョン・ソンファさんはこみあげる感情を押えることができず卒倒した


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