民団新聞 MINDAN
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在日へのメッセージ

前田憲二・映画監督



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「100万人の身世打鈴(シンセタリョン)」

 林を渡る秋風を、やっと実感した昨日、4年振りにどうやら長篇記録映画「100万人の身世打鈴」が完成する。初号試写を観ることができるのは、9月末になるのだが、制作タイトルには、2000年8月15日と、文字を刻んだ。

 この作品のテーマは、朝鮮人強制連行・強制労働だが、時代の流れのなかで、ともすれば風化しつつある大問題に、ふたたび楔を打ち込むため、「100万人」を形象化した。

 かつて、「神々の履歴書」、「土俗の乱声」、「恨芸能曼陀羅」など、数多くの朝鮮問題を、歴史を通して作品化してきたのだが、このテーマを拭っては虚空を彷徨うことになるので、何としても作品化したく、断腸の思いで完成させたのだった。

 慶應義塾を創立させた福沢諭吉は「茲に不幸なるは近隣に国あり、一は支那と言ひ、一は朝鮮と言ふ、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと、一点の疑いあることなし」と力説し、両国を侵略すべきと強調している。

 日本近代の虚構性は、この耽美主義から出発するが、それより早く、江戸後期の学者、佐藤信渕を先頭に、西郷隆盛、吉田松陰、橋本左内、勝海舟など、維新の元勲らは挙って征韓論の急先鋒だった。

 以後、日本は多くの反乱を弾圧し、ついに1910年8月22日に、日韓合併条約を成立させる。

 その日韓合併祝賀に酔いしれる祭典の陰で、青年歌人だった石川啄木は・・・

 地図の上朝鮮国に 黒々と 墨をぬりつつ 秋風を聴く と、一首、打ち沈みながら世に発表した。

 文化人やジャーナリズムは啄木に共鳴するが、弱肉強食は当然視され、帝国主義理論が支配した。

 その余勢のなかから太平洋戦争が勃発する。

 強制連行・強制労働は近代の虚妄のなかから操作された悲劇であった。

 いまこそ、日本近代の虚妄を見抜き、日本が負うべき責任をまさに追求しなけらばならない。「恨」を忘れるとは、何事だと在日の人々に言いたい。

(2000.09.13 民団新聞)



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