帰らざる人々への視線
北朝鮮在住の日本人妻第3陣が一時帰国した。これで計43人になる。マスコミ報道は第一陣ほど加熱してはいないが、それでも「涙、再会、笑顔」と情のレベルでの内容が相次いだ。
今度もまた複雑な気持ちになった。日本人妻1831人のうち、実に六割強が行ったきり何の音信もない。里帰りの度に日本の肉親たちは、「リストに自分の姉や妹の名前があがっていないか。何らかの情報が寄せられないか」と一縷の望みを託し、そして、裏切られてきた。
仙台市の平野喜右衛門さんもそんな一人だ。姉は夫と娘の一家3人で59年、帰国第一船に乗ったが、2年後本人からの便りが途絶えた。73年になって娘が「実は母は62年に死亡していた」とだけ記した手紙を寄こし、翌年にはその娘夫婦と子ども2人が消息を絶つ。91年、娘の知人からの便りに平野さんは肩を落とす。「人間文明とかけ離れたどこかの山奥にいる娘さんたちを1日も早く助け出さなければなりません」とあったのだ。以後の消息は分からない。
平野さんは「せめて生死の情報だけでも欲しい」と言う。
この話に重い気持ちでうなずかれる在日コリアンは多いだろう。というのも帰国者9万3000人のうち、多くて二割の行方が分からないのだ。(北朝鮮の帰国者受け入れ機関責任者でのちに亡命した呉基完氏の証言)国内には約二十万の政治犯が収監され、帰国者も多く含まれているといわれる。
6月の南北首脳会談、日本人妻里帰り、シドニー五輪での南北選手合同入場をめぐるマスコミ報道は、南北和解=北朝鮮の開放政策が一挙に進んだかのような印象を与えている。が、日本人拉致問題も含め、「北に消えた(消された)人々」の状況は何ら変わっていない。それが闇に葬られ、国家間(政治指導者間)のエゴがまかり通るとしたらこんな理不尽はない。
メディアは、時の風潮にすり寄るあまり、本来見つめるべき対象を見失ってはいけないと、改めて思う。
(2000.09.27 民団新聞)
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