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在日へのメッセージ

石原進(毎日新聞・新潟支局長)



南北雪解けと望郷

 6月の金大中大統領と金正日総書記との歴史的な南北首脳会談のあと、南北朝鮮あるいは日朝、日韓をめぐるニュースが堰を切ったように流れている。

 この中で、私は9月の「朝鮮総連関係者の初の韓国公式訪問」というニュースに接し、10数年前のある光景がよみがえってきた。

 場所は大阪生野区。通称「猪飼野」の焼肉店だった。経営者は50代の朝鮮総連の幹部で、数日前に韓国・済洲島に住む母親に電話をかけた、という。母親の声を聞いたのは20数年ぶりだった。

 正確には憶えていないが、その幹部とはこんな会話を交わしたと思う。

 「お母さんとは、どんな話をしたんですか?」

 「ほとんど話はしなかったんです。声を聞いて、母が元気なことがわかったから、すぐに電話を切ったんです。母が私と話をしたことがわかると、母に迷惑がかかるから……」

 母と子の音信をも切り裂く南北の厳しい現実が在日の中にあることを実感し、私は言葉を失った。

 3年前に会った東京の下町に住む朝鮮総連の元重鎮は、故郷の済洲島への望郷の想いを切々と語り、病院を建てたい、とも話した。北朝鮮に大きな病院を建設するなど、祖国の復興に尽力した大物である。この話に、私は「ウーン」とうなってしまった。

 今回の韓国訪問には私が住む新潟からも、李大均さんという79歳の方が参加した。両親と2人の弟は亡くなったが、金泉市に弟と妹が住んでいるという。訪韓が決まった時、李さんは記者会見し「(弟や妹に会っても)言葉は出ないと思う。言葉より涙が出ると思う」と語っていた。言葉に表せないほど感激したことだろう。

 在日の人たちは昔も今も、思想や政治的な立場を超えて祖国への郷愁を募らせている。南北朝鮮の雪解けの動きは、政治的な駆け引きを引きずりながら、これからも歩を進めていくと思うが、むしろ在日の南北往来の中にこそ、着実な前進が見えるような気がする。

(2000.10.11 民団新聞)



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