民団新聞 MINDAN
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「雨の中で」



 資料によれば、彼の来日は13年前の池袋以来2度目とある。だが本当の初演が、その一週前の伊豆高原であったことはあまり知られてない。

 その夏、ソウルから来た彼は私たちの前で歌った。渡航自由化の前で、招請なくしては日本に来られなかったという背景はあったが、今思えばそれ以上に、在日同胞青年の前で歌いたいという気持ちが強かったのだろう。

 ところがステージは失敗に終わった。雨天に泣かされ、客は50人足らず、会場は狭く、音響も最悪だった。私たちの準備があまりにも未熟で、不充分だったからだ。

 それでも彼はプロフェッショナルに徹し、ギターをかき鳴らして歌い続けた。でもどこかもの悲しげだった。人づてに「もう日本には行きたくない」と言ったと知らされたのは、随分後のことだ。

 彼は韓国の有名な歌手だった。多くのヒット曲を持つばかりでなく、抜群の話術で大変な人気を博していた。そのビッグネームを知らず、ほとんど韓国語のできなかった私たちは、結果的に最低の受け入れで応えたのである。

 その後、ウリマルを学んだ私は、懸命に彼の歌を覚えた。自責の念もあったが、遅ればせながらも、その音楽性に惚れ込んだからである。

 レコードを買い求め、歌詞を訳し、譜面や自伝本「馬小屋の話」を買い込んだ。そんな中で、もう一度生のステージを観たいという思いが強まったものの、来日はないと諦めていたところに…。

 うだるように蒸し暑い、あの雨の夏の日以来、久し振りに彼は戻って来た。想いを残しながらも別れた恋人に、再会したような感慨を覚えた。彼は今、13年前のことをどう思っているのだろうか。

 昔も聴いた「雨の中で」。李文世で一番好きな曲だ。(S)

(2000.11.01 民団新聞)



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