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地方参政権・日本人士の声

「共生社会実現へエール」



 民団が「20世紀中の解決を」と求めてきた永住外国人の地方参政権問題は、「選挙権法案」が、昨年末の臨時国会で成立せず、継続審議となった。一部の保守派議員が「参政権は国民固有の権利」などと、反対論を執拗に繰り広げ、これに同調する一部の言論も反対キャンペーンを展開したためだ。「民団新聞」では通常国会での継続審議を踏まえ、日本の各界各層が地方参政権問題をどう考えているのかを紹介する。ためにする声高の「反対論」によって、健全な審議が妨げられないことを期待するからである。


喜納昌吉

◆喜納昌吉さん(ミュージシャン)

「人間の権利」認定を 共生を求める動き、確実に勝利の道

◇「選挙権法案」が継続審議になりましたが、どう受け止めましたか。

 定住外国人が選挙権を獲得すると、自分たちの利権が脅かされるという保守側議員の不安心理が動いた結果だと思う。彼らが長い間、守ってきた「価値観」と21世紀を日本社会でともに生きていこうとする定住外国人の理念がかみ合っていない。保守側には「やってあげる」という傲慢さがあり、議論がかみ合わないと、「やる必要はない」と感情的になる。だけど、共生を求める動きは確実に勝利の道を歩んでいる。

◇勝利とは何ですか。

 右の考え方でもない、左の考え方でもない、人間として当たり前に生きてゆける環境を日本につくるという取り組みが着実に前進していることです。

 権利を得るには義務を果たさなくてはならない。21世紀を生きる人類の義務とは何か。権利面では人間は地球全体の富を奪って食べている。また、戦争で地球を壊してきた。しかし、義務は国内で終わらせようとしている。熱帯雨林伐採などの地球環境の問題、戦争、飢餓の問題、人権問題など、地球規模で義務を果たさなくてはならないのに、政治が国内だけでとどまっていいはずがない。

 世界に開かれた政治家が出なくてはならない時に、「国家が違う」とか「民族が違う」、「帰化しなくてはダメ」だという。参政権は日本人とか「在日」とかいう問題でなく、生きている者の権利だ。「在日」の参政権を否定する古い殻を突き破ると同時に、「在日」も住んでいる所と世界に責任を持たなくてはならない。

◇論議をつぶすために、ことさらに外国人を危険視する動きがありますが。

 日本人の深層心理の中には、アメリカに対する複雑な感情があるのに、それを露骨に出せないものだから、より弱い外国人を標的にする。アメリカに「NOと言えるニッポン」と言っていた人間も、知事になったとたんに「第三国人」いう言葉を使い、攻撃の矛先を変えているのが、現状を代弁している。

 日本人のコンプレックスを克服するためには、過去を総洗いざらいして世界に向けて新しい価値観を定立することだ。日本と韓国、朝鮮の間には過去と現在の複雑な問題が横たわっているが、「在日」のみなさんには「許す勇気」が必要だし、日本人には「許される勇気」が必要だと強調したい。8月15日は日本の敗戦記念日だが、みなさんにとっては解放記念日だ。許す側と許される側が握手できるように努力したい。

◇沖縄の人間の視点から見た日本はどう映りますか。

 心の中の魂を追いかけようとすると、やはり日本社会で疎外感を感じる時がある。しかし、自分の魂は売る物でもないし、買う物でもないから、一番落ち着けるところが必要。それが私の生き方。

 参政権というのは、「在日」が疎外感を感じずに乗り越え、一緒に住みましょうという魂の訴えだと思う。

 大和民族の日本人からすれば、沖縄やアイヌが立ち上がり、「在日」と結ばれると、韓国や北朝鮮と「反動的」につながっていくのではないかと、不安を持っている向きもあるようだ。

 憲法9条を拠り所にしてこれまで歩んできた国が、古い世界に活路を見出そうとするのは非常に危険である。

 日本が未来にジャンプするためにも、「在日」が参政権を得て、日本のために尽力してほしい。21世紀の人類のビジョンとモラルのために参加してほしいと思う。

喜納昌吉(きな・しょうきち)1948年、沖縄生まれ。「すべての人の心に花を」と歌うミュージシャン。飢餓に苦しむ北朝鮮に食糧支援を続けている。在日の民団、総連の双方とも交流がある。今年8月15日に、日本人とアジア諸国の人の和合のためのコンサートを東京で開き、インターネットで世界に発信する計画。


鎌田 慧

◆鎌田 慧さん(ルポライター)

制度化へ政治判断の時 「有事の忠誠」論は歴史不清算の産物

◇参政権がほしければ、帰化すればいいという意見がありますが。

 個人の自己決定権を他者が強制するということは、人間の尊厳、人権に関わる大問題だ。帰化しないと権利を認めないという言い方が、どれだけ相手の人権を踏みにじっているかという想像力がない。

 日本は大和民族だという「純潔主義」の教育をずっとしてきたが、その意識がまだ残っている。

 新しい時代にいかにほかの民族と共生していくのか、という意識に変えていかなくてはならない。本を読んだり、人の話を聞いたり、集会に出ていくことで、人々の意識は変わっていくが、参政権を制度で保障すると、共生が自然にできるようになる。

 ところが、日本は一貫して排外主義の教育をしてきた。敗戦のとき、国民学校の1年生だったが、8月から民主日本になり、学校で憲法や民主主義教育を受けるようになったものの、戦争中に朝鮮半島を侵略して、朝鮮人にどういうひどいことをしたか、そういうことは学んでこなかった。

 その戦後民主主義教育にしても、被害者意識だけで、近年になって加害者責任の問題を教えるようになった。それも韓国のほうから従軍慰安婦の補償の問題などが要求されたから、ようやく着手するというものだ。

 日本の統治によって、朝鮮が分断されたという教育も行われていない。「在日」に対する差別や圧迫にしても、歴史の問題として教えないからわからない。新聞でもそれなりに扱うが、意識的に啓発していかないと変わらない。教育で変えていくべきだ。

◇有事の際にどちらの国に忠誠を誓うのかと迫るムキもありますが。

 定住外国人に参政権を与えると、日本の国益を損なうという極論が、有事の際には云々とか「石原発言」につながっている。それは歴史を清算せず、昔のままの差別意識しか持たず、戦後民主主義から何も学んでいない者の言い分にすぎない。日本と韓国、日本人と韓国人との戦争を想定すること自体が、常識外のことでありえない話だ。排外主義的な、国粋主義的な考え方が、もっぱら日本の側から出されているが、もうそういう時代ではない。

 定住外国人の主張に耳を傾け、権利を保障しながらごく普通の関係にしていく。そうでないと、日本人の心も解放されない。参政権を与えないということは、一人前に扱わずに差別をそのまま残すということだ。お互い自由に生きることが大事で、差別意識は、心が堅くなっている証拠だ。将来の労働力不足の問題も踏まえると、日本人の賛成の声が80%になったら、というのでは間に合わない。一緒に暮らしていこうという政治判断が求められている。

 なぜ自民党の一部議員が反対するのかといえば、日本国内の地域の利害関係ばかりが政治の主テーマで、国際環境の中で生きる日本の将来や定住外国人の人権を考えてこなかったからだ。

◇一部マスコミの反対キャンペーンをどう見ますか。

 雑誌というのは信念があって作るというよりも商品生産だから、どちらの意見を取り上げれば売れるのかを考える。声が大きくてわかりやすい反対意見に乗ってしまう。清新性とか気高さを伝えなくなってきているが、このままの状態が続くとは思わない。あと30センチも右傾化すれば、反省点にいく。独裁者がほぼいなくなり、世界全体が民主化の方向に進む中で、日本だけが戦前に戻るというようにはいかない。今の若い人は、頑迷で無知だった昔の日本人よりははるかに公平だ。悲観することはない。

鎌田慧(かまた・さとし)1938年、青森生まれ。早稲田大学文学部卒業。専門紙記者などを経て、フリーのルポライター。著書に『生きるための101冊』『現代社会100面相第3版』(岩波ジュニア新書)、『反骨 鈴木東民の生涯』(新田次郎賞)、『六ヶ所村の記録』(毎日出版文化賞)など多数。

(2001.0101 民団新聞 新年特集号)



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